昼、夜とも観劇してまいりました。(夜の部は別に書いています)
勘九郎、恐るべし、です。
今日は、昼のほうの感想を。
昼は、とにかく「土蜘蛛」です。
「土蜘蛛」の出。
人の気配を感じさせない。「え?いつの間にここに来たの?」ていう。
徹底的な「静」。
静かな静かなくぐもりのなかに、「こいつ、何やつ?」っていう謎を秘めている。
そして「こやつ、できるな」の殺気を緩急つけて表す。
動き始めると、その素早さ、華麗さ。足さばきの見事さに恐れ入った。
科白も堂に入っている。ほとんど口を動かさないのに、声、響く響く。
声。三津五郎扮する源頼光より、20歳は年齢を感じさせる。
勘九郎って、こんな声だったっけ?
形相も含め、別人に見えた。
インタビューで「自分はどんな役にでもなれる白の役者になりたい」と言っていたが、
「あ、お父さんそっくり」じゃない勘九郎を見ましたね。
お稽古つけてもらった人との関係かな。
お囃子がまた、素晴らしかったんだけど、
このお囃子が、勘九郎が舞っていると、サブに聞こえる。
他の人のときは、お囃子のほうに耳がいく。
若さゆえの体力、気力に、技術や表現が伴っている素晴らしい演目でした。
この演目でもう一つ感じたこと。
国生くん、よくなったんじゃない?
「3番目の槍持ちには、3番目の槍持ちの人生」というあの言葉を思い出した。
土蜘蛛をやっつけようと槍を構えるその姿勢に、
「かかってこい!」という気迫を感じました。
その気迫が、形の中に現れていた。体を酷使して、その形を作っていた。
形相もよかった。
応援したくなっちゃったわ、私。
「河内山」では、仁左右衛門が貫禄。
江戸っ子の河内山と、「宮の使い」の僧・道海との演じわけが絶品。
特に道海の真綿の上をにじり寄るような、上品ないやらしさ!
役者が違う、と思いました。
「鳴神」は、七之助の声がよく通っていた。
私は最近七之助の言葉の力にとても感心します。
美しくて、「雲の絶え間姫」の名にふさわしかったし。
だけどさ~。
なんていうか、これ、お話しとして、観客はどう身を置いたらよいのかな?
経験不足なお上人様を「国のため」色仕掛けで落とした女の話だからな~。
江戸時代には、「坊さん」の権威を揶揄したりとか、そういう意義があったと思う。
今はまた、違う解釈が必要な気がするわ~。
マッサージするふりして「よいか?よいか?」のシーンなわけだし。
エロじじいがだまされていくのをみんなで嘲笑するために、
劇場に来ている人、今は少ないと思うわ~。
橋之助さんのお上人さんも悪くはないのだけれど、
もっともっと純粋で一本気で若い感じなら、また違ったかも。
「ヴェニスの商人」と同じく、
見方を変えていく必要のある演目の一つだと想いました。
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