長いけど、短感です。(笑)
文章として整ってなくてすみません。
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お袖役の笑也が素晴らしかった。
大きな役でじっくり見たのは初めてなのだが、
若くてきれい、声も高くて女性っぽいと思っていたら、
なんと、ほかの女形より歳が上だった!
びっくりです。
「三角屋敷」の場面での切羽詰まった女心には泣かされました。
お岩の笑三郎も、
顔が崩れていく、あの場面、
鏡を見ろ、といわれていやがるところ、
あとからこわごわ、確かめるところ、
ものすごくリアルでした。
セリフもしっかり届き、笑也より10以上下なのに、姉役を好演。
この舞台、このお岩・お袖姉妹が心棒になっていた。
対する立ち役。
与茂七役の門之助、いなせでしたね。
本来は愛之助がキャスティングされていて、急遽代役だったはず。
愛之助だと右近とセリフ回しとか声質が似通って、
門之助とのほうがコントラストがはっきりしてかえってよかったのでは?
門之助は、細やかな感情も演じられるところが好きです。
色悪・伊右衛門に段治郎も印象的でした。
この人、オーラでまくり。
「色悪というのは、美しくないといけない」との言葉通り、
美しかったです。
お岩に毒を盛られたことを知ったときの、本心からの驚き、
その後、計算ずくで伊藤家の婿に収まろうと決めるときの決意の表情、
決めたからには次々と情け容赦のない悪事の連続。
彼で「眠狂四郎」、見てみたいな~と思いました。
大向こうからの掛け声も、彼へのものが多かった。
膝の手術から復帰ということで、舞台への思いもひとしおだろう。
最後に座長の右近。
うーーーーん。
私は彼のセリフの口あとがあまり好きではない。
直助など、世話物のキャラはスムーズだけど、
時代物になると、セリフがよく耳に入ってこないのだ。
あと、
見得が大仰すぎて間がもたない。
これは、作品全体の構成でも感じられた。
たしかに歌舞伎に見得は重要な要素だけれど、
テレビのクローズアップなのだから、
効果的に入れてこそ、やんやの拍手が生まれるというもの。
長すぎたり、多すぎたりすると、わざとらしくて気がそがれる。
拍手といえば、
昨夜のお客さん、淡白だった~。ていうか、
これが団体さんというものなのかしら。
歌舞伎座に通いつめて心身ともに前のめり、
ごひいきの役者が出るタイミングを知っていて、
待ってましたとばかりに拍手したり声をかけたりする、
あのテンションがまーーーったくなく、
花道から誰が出てこようが、中央から右近が登場しようが、
拍手が起こらないこともしばしば。
見得切ってもパラパラな拍手っていうことも多かった。
(これは客のせいばかりじゃないことは前述のとおり)
かてて加えて、私語の多いこと多いこと、それも大声。
ビニール袋のガサガサも耳障りでした。
宙乗りはかっこよかったし、
(私は2階花道寄りだったので、よく見えた)
水を使ってのラストシーンも迫力があったけれど、
筋として、何で宙乗り、何で水っていう、
そのあたりに流れが感じられず、とってつけたよう。
その上その「水」から敵も味方も笑顔で出てきて
ハイ終わり、ありがとうございました~っていうのは、
せっかく「通し」という「物語」を生きた登場人物を描いておきながら、
「役」と「役者」とがないまぜになって、
異世界に遊んだ余韻などどこかへ飛んでしまった。
多くの劇評で「三角屋敷」と「天川屋義平」の場面が特筆されるのは、
ここは場面として端折らずじっくり描いているからではないだろうか。
ほかはほとんど早まわし状態で、
次々と事件は起こるがどうしてその事件が起こるに至ったかの人物心理を
役者は醸すいとまもない、といった風情。
「刃傷」に至る塩冶判官の気持ちのたかぶりもわかりにくいし、
「四谷怪談」のくだり、今殺人が起こって首がころがっている部屋に
愛する娘を白無垢で嫁入りさせるに至っては、もう
「舞台上の都合」以外の何ものでもない。
「松の廊下」から「討ち入り」まで詰め込むだけ詰め込んで、
そこに「お岩さん」がいて「新田義貞の霊」があって、
南北らしいお袖と直助の禁断の絆も加えられ、
一生懸命筋を通したわりには観客はちんぷんかんぷん。
「お袖は誰の妹だって?」
「お岩ですよ。実の妹って言ってたでしょ?」
「あの男は何で生き返ったんだ?」
「違う人になったみたいですよ」
「ちっともわからん。忠臣蔵と関係あるのか?」
最後の幕間に耳にした会話です。
違うのよ、お岩の妹として育てられたけど、「実の」っていうところ、
それ、三角屋敷の場のキモでしょ。
直助が切腹したわけがわかってないってことですよね?
右近は何役もやっていて、直助が切腹したあと、義平として登場。
まあ、
大竹しのぶがジャンヌ・ダルクが死んで数分でナポリ王女として出てくる、
あれと同じですが、
わかりにくいですよね~。
このとき、直助の死をみとった与茂七の門之助は、
義平の妻として出てきているのだけれど、
こちらは扮装が男から女になっているので、
役としてのみ認識されるのでしょう。
「仮名手本忠臣蔵」も、
短いバージョンで上演するときは、
ダイジェストではなく、場面を抽出する形にする。
それは作品に対するリスペクトであると同時に、
本来その作品の持っているよさを潰さずに短くする、
最良の選択であることを知った。
「早回し」は何の感動も生み出さないのだ。
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