昨晩、NHK教育テレビで
今年4月27日に行われた第35回俳優祭のもようを放送していました。
数年に1回行われるという俳優祭は、
歌舞伎役者たちの文化祭のような様相で、
「スターかくし芸大会」的出し物もとりまぜ、
いつもとは違った面を舞台上で見せてくれるとともに、
幕間には人気役者たちがそろいのTシャツや法被を着て、
売り子さんとして直に観客と触れ合うという
歌舞伎ファンにとってはたまらない時空を満喫できる企画なのです。
今回は、現在の歌舞伎座での最後の俳優祭ということもあり、
とても力が入っていたもよう。
新作(!)「灰被姫(はいかぶりひめ)」すなわちシンデレラは、
團十郎の演出のもと、100名からの役者が出入りする大作で、
明治22年に歌舞伎座の開場が行われたことにひっかけ、
鹿鳴館チックな開場記念パーティーに行きたい灰被姫を、
魔法使いのおばあさんが助ける、というあらすじ。
タイトルロールの灰被姫(本名はおくに)に玉三郎、
継母に勘三郎、いじわる姉さんに福助と橋之助、
魔法使いのおばあさんは左團次、
パーティーの司会には黒柳徹子そっくりに扮した亀治郎など、
あちこちに仕掛け満載の面白劇です。
グラント将軍の仁左衛門もいいけど、
将軍夫人のキャサリンに扮した金髪團十郎もウツクシク、
NHKの教育テレビそのままに出てきた染五郎も
笑いをとりつつ凛々しい出で立ち、
ほとんどたった一晩の稽古でこれだけのことをやってのける俳優たちの、
パワーと芸に対する愛情を感じます。
当時婚約話でもりあがった勘太郎と愛ちゃんとのことや、
深夜の公園でハダカになっちゃったナギくんをもじっての演出と、
世相も斬ってのドタバタのなかに、
歌舞伎座への愛情とか、
歌舞伎座が改築される間、周囲のお店が困りはしないかとか
そういうものがしっかり織り込まれ、
やさしくて温かい気持ちが湧いてくる。
特に大詰め、
藤十郎、富十郎、芝翫、幸四郎、吉右衛門といった
重鎮たちが「歌舞伎座の守り神」として登場し、
「俳優(わざおぎ)が芸に精進するのはいうまでもありませんが、
歌舞伎座に通ってくれるお客様がいるからこそ」と
舞台の上のものも下のものの、一緒に歌舞伎を守り立てていきましょう、
歌舞伎座が新しくなっても、
またこの歌舞伎座のような雰囲気を作っていきましょう、と口上と述べると、
それはパフォーマンスを通り越して、
祈りにも似た言霊となって降り注ぎ、
ああ、本当にこの人たちが「守り神」なんだなあ、と
改めて思いました。
そして、
その「守り神」たちが
次の世代を担うものとして「おくに」を見出すというこのストーリーに
思わずうなってしまうのです。
「出雲の阿国」にひっかけて「おくに」だとはわかっていました。
その役を玉三郎にさせ、
「これからの歌舞伎座は、お前に任せたよ」と言うとは。
玉三郎(おくに)が「自分なぞには」と首を振ると、
「たしかに一人でできるものではない、お客様のあたたかさとともに」と
結ぶところが心憎いのなんの。
伝統とか、血筋とか、
ともすればガチガチの保守主義の殿堂に思われがちな歌舞伎の世界だけれど、
彼らは「続けなければならないもの」が何かを常に見据え、
そのためには、新しいものも躊躇なく取り入れています。
玉三郎もまた、
その才能を見出され養子となった人。
その玉三郎に「明日の歌舞伎」を託してこの歌舞伎座を仕舞おうというわけですから、
彼らの懐の深さと歌舞伎存続への思いの強さを感じずにはいられません。
この日の観客は、
未来の歌舞伎に向っての「宣言」の証人となったのでした。
どんな超一流の役者でも、
ロビーの隅で売り子を買って出てお客と同じ地面に立ちサービスする。
神だ天才だ重鎮だともてはやされる環境にあっても、
歌舞伎俳優たちは、「一介のわざおぎ」という原点を忘れません。
だからこそ、
日々の精進にも力が入るのかもしれません。
「きっと新しい歌舞伎座も素晴らしいものになるでしょうが、
この歌舞伎座と同じ空間にはならないと思うんですよね」
ロビーでのインタビューで、仁左衛門がふと本音を漏らしていました。
さみしい思い、ありがとうの思い、
それを共有できるのは、歌舞伎座に通いつめたお客さんたち。
その連帯感が
今年の俳優祭をさらに濃密な一日にしたようです。
いろいろと、
心に思うことの多い番組でした。
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