昨年六月の澤瀉屋の襲名披露公演(&追善公演)に向けて、
香川照之(現中車)と先代猿之助(現猿翁)の親子の奮闘ぶりに密着した番組。
猿翁丈の、復帰に賭けるリハビリの壮絶さに
72歳でここまでやったんだ、と改めて頭が下がる思いでした。
ほんとに、奇跡の復活だったものね。
8年ぶりに、自分で自分の化粧をするときの、ちょっと戸惑ったような空気。
しかし、思った以上にしっかりとした手つき!
「舞台人が、舞台に立つことでなせるわざ」とか思っていましたが、
「復帰する」という覚悟と努力がなくてできるものではなかったのでした。
それもこれも、
「これを逃したら親子で共演は難しい」
「今のうちに、すべてを伝えたい、おしえたい」
という中車に対する思いからだったんですね。
これまで、
「香川照之」の側から彼の「復帰する」物語を見ていたので、
父親として、「復帰させる」側としての覚悟の重さを突き付けられました。
この正月、大阪松竹座で、中車が石川五右衛門という大役に挑戦しているのも
これでナゾが解けた、という感じです。
体調を崩しながらも必死で稽古をつける猿翁の情念の強さ。
「彼にできるかどうかわからない。できたら奇跡ですね」
そうなんだ。
「できると思ったからやらせてる」わけじゃない。
「できなくてもいい、やらせたい」んだ。
その父の思いにこたえ、
震えながら、恐れながら、怖くても初日をあける中車の壮絶さも、また。
「役がつく」
これが「後ろ盾」の強みなんだな、と、つくづく思いました。
中車47歳。
猿翁72歳。
72歳にして復活し、完璧ではないにしろ動く口と体を使い、弟子の口を使って
アタマの中にあるすべての芸を、息子に渡そうとする猿翁。
勘三郎はまだ57歳だけれども、もうそれができないのだな。
でも。
「孝行したいときには親はなし」というくらいで、
親子というものは、そうやってすれちがうようにできているのかもしれません。
意地を捨て、恥を捨て、全人生を賭け、
歌舞伎に、父に、飛び込んでいった中車と、
それに手を貸した亀治郎(現猿之助)こそ、
本当に奇跡を起こした人たちだったのかもしれない。
(浜木綿子と猿翁と中車の稽古場でのスリーショットには泣けた)
「小栗栖の長兵衛」の六月初日を見ながら、
声のつぶれる前の中車はいいじゃないか、と思った。
いいけど、やはり歌舞伎は長丁場
声がつぶれてしまうような発声ではこれからも難しいだろう。
また、
テレビ番組のために集音しての声と、劇場に響く声とでは
少なからず印象が異なるのも事実である。
ただ
今月の「石川五右衛門」初日を見ると、ニンでもないのによくやっていると思った。
やはりただものではない役者である。
長い目で見ていきたい。
47歳だけれど、猿翁の72歳まではあと25年ある。
「中車」の名前が似合うようになる日が、きっとくるだろう。
応援したいと思った。
香川照之の歌舞伎への思い、父への思いについては、
こちらとこちらもどうぞ。
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