菅丞相といえば、私にとってそれは片岡仁左衛門なのです。
だから、はっきり言って、文楽のお人形の、孔明のかしらにはちょっと違和感。
でも今回、そんな「お顔」云々ではなく、
この菅丞相というお役がどんなに大変か、心の底から思い知った。
品格と威厳と、絶対正義と、下々から慕われる慈愛と、
その上神がかりにさもありなんと納得できるような器量。
こりゃ、仁左衛門だからできるのであって、
ニザ様が、いつもこのお役をなさるときは、
身を浄めて臨まれるという意味がよくわかった。
これ以降歌舞伎でも誰ができるのか、すごく心配。
というのも、今回菅丞相の語りには、どの段もまったく満足できなかった。
通しということで、大夫、フルキャストなわけです。
引退狂言の住大夫は桜丸切腹、
嶋大夫はオーラス寺子屋を90分語りまくり。
どちらも菅丞相は出てこない段。
「天拝山の段」は迫力はあったけど、
ここは通常の菅丞相とは趣が違う。
大内、筆法伝授、道明寺でのいずれも菅丞相の佇まいは、
平板で畏敬を催す無言の気迫に欠け
若き(あるいは中堅の)大夫には荷が重かった様子。
この菅丞相、
決して「素敵なおじさま」じゃないんです。
「悪いことしてなければ大丈夫。絶対神様が見てるから」の一辺倒で、
その上どんなに可愛い身内でも家来でも「一個でも悪さしたら許さない」厳しさ。
理論武装だけは後ろから刺されないよう、ものすごく用心深いんだけど、
「自分の潔白を保つためには身内も切る」の残酷さがあって、
そのため源蔵も勘当されるし、
苅屋姫とも会おうとしない。
この、能面のような冷徹さが、昼の部ラスト「丞相名残の段」の最後でのみ破綻する。
…ここ、ニザ様が最高でありまして、
今回の文楽ではまったく心が動きませんでした。
それよりも、
姉妹を助け、夫に殺される立田姫が最高。
これは人形遣いの勘彌がよかった!
寺子屋では源蔵の和生、松王丸の勘十郎もさることながら、
千代の紋壽が素晴らしかったです。
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