東劇でシネマ歌舞伎を見てきました。
「シネマ」ですからカテゴリーは「日本映画」ですが、
中身は「歌舞伎」それも演出は野田秀樹。
いわゆる劇場中継の映画版です。
「野田版・研辰の討たれ」
2007年に、野田秀樹が中村勘三郎と組んで歌舞伎らしからぬ歌舞伎をやってしまい、
歌舞伎の「決まりごと」も何のその、
意欲と勢いだけで突っ走ってきたものの初日を前にコワくなったが、
結果は「歌舞伎座始まって以来のスタンディングオベージョン」という吉と出た
という、あの第一弾です。
面白かった~! 声出して笑っちゃいますから。
勘三郎ってほんと、すごい役者です。
セリフ操りの巧みさ、絶妙な間合いの取り方もさることながら、
顔いっぱいに汗かきながら、
ずーっとテンションキープする、そのエネルギーに感服。
真正面から鋭い立ち回りを力の限りにぶつけあう
市川染五郎、中村勘太郎の気迫に思わず
「若い~!」と身をよじり(ここでまた爆笑)
「若いもんに負けないためにはテンション、もっと高く、高く」と観客に宣言するみたいに口にする。
彼を観てると、いつも藤山寛美を思い出します。
虚実ないまぜのアドリブはその後も満載。
野田や勘三郎がアメリカやイギリス公演で苦労させられた組合(ユニオン)の強さから
勘太郎の私生活暴露まで、
2007年当時の世相やら、その時はやったお笑いやら、
いろいろ入っています。
勘三郎が斬新なことをやろうっていうときは、必ず「お客さん」との距離を狭めようとしている。
歌舞伎はその昔、床の間に飾られた行儀のいい文化じゃなかったことを、
その「一流の猥雑さ」を、
彼は復興させようとしている。
橋之助の老け役にも拍手!
前半の与力は清清しいのに、後半の寺の住職!
大画面のアップになってもわからない。
メークもそうだが、歩き方、喋り方、ほんとの老人としか思えなかった。
そして、野田が作るものは、やっぱり恐ろしいわけで。
「研辰の討たれ」は、
本当は人を死なせて「仇」として追われる身となった「研ぎ屋あがりの辰次」が
口八丁手八丁で「実は仇を探している」とウソをついて、
仇討ちから逃れようとするお話で、
木村鏡花作の小説を歌舞伎化したもの。
その時も大正14年に書かれた小説をすぐに歌舞伎にしているから、
斬新だったのかも。
「敵討ちを逃れようとする卑怯者だが、憎めない」という設定はその時からのテーマである。
野田は、これを
「赤穂浪士の討ち入り」で一種の「敵討ちLOVE」ブームが世間に起きていた時代の話として、
無責任な「世間」に翻弄される両者の悲喜劇を強く描いた。
「桜のように潔く散るばかりがいいのではない」という冒頭の
ただの売り言葉に買い言葉のような言い草が、
やがてラストの
「もみじのように、散りたくねぇ、散りたくねぇ、と…」という
辰次の観念しきった涙声に変わっていく、その伏線の張り方。
そして、思わぬ幕切れ。
いつもながら、野田ワールドの設計図の緻密さと
心の中にぐいぐい押し入ってくる荒々しさとを感じた。
「シネマ歌舞伎」とは、
世界の人々に日本の伝統文化と先端技術を容易に体感してもらう様式として、
「新日本様式100選」に選ばれたのだとか。
今年から、アジアを皮切りに、海外での上映を開始するそうです。
世界と言わず日本でも、たった2000円で、思いっきり歌舞伎を楽しめるツール。
ただ、上映期間が短いのが玉に瑕。
去年の今頃やっていた玉三郎と菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」も
すごーく見たかったのに、すぐに終わってしまった。
今回も東京では東劇での公開が2/1(金)までなので、
興味のある方、今すぐ東銀座へ!
(その後、順次全国公開だそうです)
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