昨年の9月、新橋演舞場で始まった
三代目中村又五郎と四代目中村歌昇の襲名披露公演は、
この7月の松竹座での公演で一区切りである。
新橋では初日まもなく又五郎が足を負傷するというアクシデントがあり、
「車引」の梅王丸では黒衣に寄りかかるようにしてかろうじて立っていたり、
「寺子屋」でも裾から見えるロボットのように四角く固めた足が
痛々しかったりしたものだ。
新又五郎を名乗ることとなった三代目中村歌昇は、
子役の頃は中村光輝の名でテレビなどでも活躍し、一斉を風靡したものの、
父親を早く亡くしたり、丸々とした体型に育ったこともあって
どちらかといえば役者としては不遇な青年期だったろう。
しかし、面倒見のよい温厚な人柄や演技への研究熱心、堅実さが身を助け、
不惑を過ぎたあたりから俄然舞台で光を放つようになる。
口跡のよさ、心の内なる叫びが滲み出てくるような表現、物語に対する深い理解。
彼の地道な研鑽と歌舞伎に対する愛情が花開いたのだと思う。
そして又五郎の襲名である。
長く吉右衛門の座組みを支えていた歌六・歌昇が、
母親の死を契機に母方の縁深い萬屋から父方の縁につながる播磨屋へと移ったのも、
今回の親子で又五郎・歌昇を襲名するための一里塚であったのだろう。
襲名披露公演といえば、舞台の主役である。
当然、出し物でも「主役」を務めるもの、と誰もが思う。
しかし、それは「御曹司」の襲名披露でこその鉄則である。
市川宗家、音羽屋、成駒屋、高麗屋、中村屋、などなど
歌舞伎の屋台骨を支えてきた一門の本家本流には、
「主役がニン」である芸風が、生まれたそのときから求められる。
しかし新・又五郎の場合は違う。
大河ドラマ「天と地と」の子役には、テレビ局は当初勘九郎をオファーしたという。
しかし、「御曹司にそんなことはさせられない」ということで、
光輝にお鉢が回ってきたという経緯があるくらいである。
そこで光輝がスターになったのは、結果であって必然ではなかった。
また、新・又五郎の場合、
彼の「味」としても「脇」がニン。
重要な役を次々と務めてきたその経験の結果ともいえるが、
その人となりから醸しだされるものが、オーラというより春の日差しに近い。
これまで大曲で「主役」を務めたことはそれほどなかったと思うが、
役者たるもの、誰でも主役に憧れないわけがない。
しかし、襲名披露公演では、そのチャンスが巡ってくるのだ!
これは、タイヘンなことなんだ、と改めて感じた。
もちろん、すべて主役を演じるわけではないが、
新橋では「寺子屋」で源蔵を(これはニン)、
名古屋御園座では「角力場」で放駒長吉を、
京都南座で「船弁慶」の静御前/知盛、
博多座で「彦山権現」の毛谷村六助を、
琴平では「千本桜」の「四の切」で狐忠信を、
そして松竹座でも「千本桜」から「吉野山初音道行」での狐忠信、と
精力的に演じている。
名古屋、京都、琴平は未見だが、
「四の切」はよかったと聞く。
しかし松竹座の「道行」は、というと、やはりニンではなかったな、とは思う。
というか、
この前見た菊五郎/時蔵のそれの魅力には、誰であれおいそれと敵うものはいないのだが。
どんなに技術があろうと歌舞伎を深く知っていようと「スター性」は得られない。
人を「存在」として感動させる「スター」というのは、
いかに得がたい才能かというのを思い知らされる。
つまらないものは、つまらないのである。
それより、
「荒川の佐吉」で、主役の仁左衛門(佐吉)を支える辰五郎を演じた又五郎の
なんと感動的なことか。
仁左衛門もカッコイイが、辰もたまらないほどいい男だ!
これが「ニン」というものなんだろうな、とつくづく思った。
私は、中村光輝とほぼ同時代人である。
憧れてテレビにかじりついていたときもあった。
「いい役者だな」と思った三代目歌昇が光輝だったと知ったときは、うれしかった。
そして、
今回又五郎を襲名できて、本当によかったと思う。
その「よかった」が最高潮に達したのが、
松竹座での襲名披露口上だったのだ。(つづく)
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