「吹雪峠」「夏祭浪花鑑」「色彩間刈豆」
「吹雪峠」では、染五郎の旅人姿がカッコよかった。
孝太郎の「こごえるほどの寒さ」の表現も素晴らしい。
一人の女をめぐる男二人の全員が居合わせて起こる緊張感、といえば、
「お国と五平」を思い出すけれど、
それに比べると、いま一つだったか。
兄貴分の恋女房を寝取って駆け落ちした弟分を演じる愛之助が
ちょっと小さい。
二言目には「こんな身体になっちまって」と病気を全面に出す。
それって
もっと図々しくて、もっと兄貴を侮っているからこそ、
そこに兄貴の勘気に触れたときに、
いじましく「こんな身体で…」と言い訳してちょうどいい。
コキュの染五郎も、自分の間抜けさを認めたくなくて、
最初はいい顔するのだから、
どうしてそれが途中で「出て行け!」になるのか、
こんな「いい人3人」みたいなのじゃなくて、
もっともっと人間のいやらしさが出て
初めて背筋の寒くなる人間ドラマとなる。
ラブラブな二人が、途中で互いを非難しはじめるところなんぞ、
笑いが起こっちゃって。
「シチュエーションコントみたい」とのたまったブロガーが居たが、
そういうことなんだと思う。
こうなると、「お国と五平」の、
どこまでもヒルのように粘っこい三津五郎の不敵な笑みと
純真マジメを地で行くような勘太郎がじわじわと醸しだす不義の香りと、
貞淑な妻だと思っていたら実は…っていうっていう
あの空間の濃密さったら、なかった~。
「夏祭浪花鑑」は、吉右衛門の団七に仁左衛門の徳兵衛。
団七は、勘三郎、海老蔵で見ているけれど、
吉右衛門の団七は、まったく違う顔を見せて、なかなかよかった。
あまり「ワル」ぶってない。
おおらかな男っぷりである。
そこで最後の舅殺しの場での
「悪い人でも舅は親。堪忍してくれ」というセリフが生きる。
舅役の段四郎が秀逸。
こすっからく口は悪く、でもおいぼれて口も頭もまわらない
汚らしい小男。
この舅をなぜ団七は殺さなければならないのか。
殺しておいて、すぐに悔いて拝むのか。
「舅」との親子関係とか、「主人」との主従関係とか、
そういうタテのしがらみに生きるのがカッコイイと思っている
団七の価値観は、
「好きか嫌いか」「良いか悪いか」は二の次なのだ。
そして行きがかり上斬ってしまい、
傷は浅いのに「人殺し」呼ばわりされて、
もう本当に殺さなければならなくなる。
殺人の、一つのパターンがここにあろう。
石ころを「30両」と偽って舅をだます団七が
ものすごーく悪い男に思えた海老蔵のときに比べると、
播磨屋団七は、
「とりあえず、これでその場はしのごう、
親父殿もきっとわかってくれる」くらいの思いつきだったと知れる。
その、人の好さが滲み出た団七が、説得力を持つのだ。
三婦役の歌六もよかった。
小柄な老人ながら、人物の大きさがかつての豪快ぶりを髣髴とさせる。
逆にイメージと違ったのが、福助のお辰。
「なぜに男に生まれなんだ。一物どこかに落としてきたか?」と
三婦に言わせるくらい鉄火な女なんだけど、
どっちかっていうと
芸者が真夫に心中立てする感じになっちゃった。
特に、
「(夫が私に惚れてる理由は顔じゃなくて)ここ(胸=心)です」という
一番の見せ所など、
あざとさすら見えてしまって感動とはほど遠い。
三婦に問われて初めてそのことを考え、
きっと夫はわかってくれる、私と夫は「ここ」でつながってる、と
自分に言い聞かせるように宣言するような、
頬に大きな焼きゴテの跡をつけてしまった女の、
絶望的な哀しさを超えた覚悟が見えてこなかった。
この点、若いかったが勘太郎のお辰は気風がよかった。
彼のお辰はまた見てみたいと思う。
「色彩間刈豆」は
……うーん、かさねの話なんだよね?
染五郎、動かなすぎっていうか、なんていうか。
動かないその姿に何も感じられなかった。
私、踊りはオンチなので私が悪いのかもしれないけど、
与右衛門だよね?
この女を好きだったの?
この女と別れたいの?
この女がこわいの?
この女が気味悪いの?
全然、なにも伝わってこなかった。
かなり期待してみていただけに、ちょっと退屈に感じてしまいました。
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