第三部は「盛綱陣屋」と「勧進帳」。
「盛綱陣屋」は、仁左衛門の盛綱。
彼の、義太夫の体現が手堅い。
また、首が弟高綱ではなかったとわかったときの、
七変化ともいえる顔の表情の刻々と移り変わるさま!
3階からでも見てとれた。
母の東蔵はいつもながら優しさが溢れていた。。
伊吹藤太の翫雀は、動きの切れが半端なくて、
この人は、手を抜かない人だな、と感心。
そして、
なんといっても我當演じる北条時政がよかった。
顔も立派、声も立派。
圧倒的な大きさ、憎々しさ。
こういう役ができる人は少なくなってしまった。
我當はしばらく前から足の具合が悪く、
この先が少し心配である。
小四郎役の金太郎は、
前半はちょっとおぼつかなかったが、
飛び出して切腹するところからはよかった。
「勧進帳」は
弁慶が幸四郎、冨樫が菊五郎。
この菊五郎が素晴らしかった。
やはり弁慶と冨樫が拮抗していると見応えがある。
見応えといえば、四天王。
左團次、染五郎、松緑、勘九郎。豪華な顔ぶれだ。
若手三人はそれぞれ弁慶や冨樫として、
いつかは歌舞伎座のセンターを担うべき人たち。
この脇の厚みこそ、杮落し公演ならでは。
当初の予定であれば團十郎が弁慶だったから、
團菊が対峙し
市川宗家が音羽屋、高麗屋、中村屋の筆頭花形立役を率いるという
荘厳極まる座組なのだ。
正月の浅草歌舞伎とは比べぶるべくもない、
これ以上はないといっても過言ではない夢のキャスティング!
中でも染五郎がよかった。
父幸四郎を相手に冨樫の経験もあり、
その辺りが弁慶の動きをしっかり受けての演技に通じたか。
彼は、存在感を出してはいけないところでは出さず、
自己主張せずに弁慶をはじめとする共演者と呼吸を合わせるのが絶妙だった。
それに比べると、勘九郎はいまひとつ。
船弁慶で舟子をやった七之助につながるが、
脇の経験が少ないのかもしれない。
姿勢のシンクロや発声など、さらなる緻密さとたっぷりさを期待する。
「勧進帳」に関しては、
六方で花道を引っ込むときに手拍子が起こることに賛否両論かまびすしい。
私は手拍子には加わらなかったし、違和感を持つ一人だが、
でも歌舞伎を初めて見にきた人たちが、
あそこで手拍子したくなる気持ちはわかる。
もっといえば、
邦楽の調べの中に、そういう高揚感を見出した、
いや、自分の中に、邦楽のリズムに響き合う部分を
見出してくれたこと、
それは歓迎すべき現象といえるのではないか。
思わず手拍子したくなる人たちに眉をひそめるよりは、
歌舞伎を知り尽くしているはずの大向こうの面々が
「熊谷陣屋」での虚しい「弥陀」への引っ込みを前に
「たっぷり!」とか「待ってました!」とか、「大当たり!」などと
得意げに声をかけるほうが、よっぽど顰蹙ものである。
- 舞台
- 24 view
この記事へのコメントはありません。