国立劇場の隣りには、国立演芸場があります。
パッと見「首相官邸か?」っていう壮大なつくりの国立劇場に対し、
国立演芸場は、
不忍池のほとりに立つ台東区立の下町風俗資料館みたいな、
昔ながらの演芸場っぽいたたずまいとなっております。
(黒塀に赤い丸提灯で、ちょっと和風旅館の入り口っぽい)
二階が演芸場となっていて、
一階の展示室では、ちょっとした落語の歴史がわかるようになっています。
あまり広くないので、
ものすごく期待すると「え?これだけ?」となりますが、
書いてあることはいちいち面白く、
(昔からの「おち」を読んで、思わずくすっと笑ってしまう)
ほんとに「落語」とは「落とし噺」「オチのある話」なんだな、と
改めて感心してしまいました。
新しい発見がありました。
落語は最初から「高座に上がって一人で語る」形ではなく、
芝居がかったパフォーマンスといっしょにやっていたということ。
今でいうコントみたいな形でやっていたことも多かったんですね。
それがどうして今みたいな形になっていったかというと、
それは「お上のお達し」が原因でした。
落語はとかく「ウワサ」ネタがからむこともあり、
これがきっかけでとんでもないデマがひろがることも多く、
大体何かを「笑いとばす」わけですから
お上にとっては常に苦々しい存在なわけでしょう、
「○○の改革」ってのが始まると、途端に真っ先に血祭りに上げられ、
あの手この手で「落語禁止~!」となってしまいました。
落語が隆盛を極めたの時代の一つが文化文政時代ですが、
そのあと、天保の改革の中で、小屋数も15に減らされたり大変。
一番すごいのが、
お話の種類を、「神道講釈」「心学軍書講釈」「昔咄」の三つだけにしろっていうお達し。
これ、お勉強と子どもの話ってことでしょ?
面白くも可笑しくもないって感じ?
その上、劇仕立ても禁じられ、
「一人で座って話すだけなら許す」っていうわけです。
でもそんな時代をものともせず、
それでも落語は落語であり続けた。
この時代にこそ、新作がどんどん作られた、とも言われています。
ねえ、これってこの前の東京国際映画祭の「シーリーン」に似てません?
何のしつらえがなくても、
落語家の「声」だけで、観客は想像し、「脳内上映」しちゃうんですよ。
つまり、
「形」があるから取り締まられたけど、
逆に「形」を禁じられ、形をなくしたからこそ、
当局に「証拠」をつかまれることなく、
その場でなくなってしまう言の葉に乗せ、
落語の精神は口から口へと受け継がれていったんですね。
ちょっとトリュフォーの映画「華氏411」(原作・ブラッドベリ)の
ラストシーンをほうふつとさせます。
芸ってのは、深い。深いわ~。
もう一つ、
歌舞伎と同じで、「名前」が受け継がれていることのすごさ。
意味はちがうけど「昔の名前で出ています」状態。
今まで私は近視眼的に、
直接の師匠(つまりまだ生きてるあるいはこの前まで生きていた)の名を継ぐ、
という意味にしか受け取っていませんでした。
平たくいえば父親とかね。
でも、
それは大きな間違いだった。
彼らの「名前」は、その芸を確立した先祖の名前なんです。
「その人がいるから今の落語がある」
そういう人の名前を継ぐって、ものすごく重責であり、
ぞっとするほど身の引き締まる思いだと思います。
私は今まで一度も寄席に行ったことがありません。
「大正テレビ寄席」とかはよく見ていましたけどね。
(*決して「大正時代」ではありません。スポンサーが大正製薬だった。
老婆心ながら若い人のため)
実は、
ちょっと前に落語家さんのインタビューをさせていただいたんです。
直接落語に関するインタビューではありませんでしたが、
いろいろと興味深い日常のお話を聞かせていただきました。
そんなこともあって、
この「国立演芸場」が一層身近に感じられ、この日の見学は実り多いものに。
落語も一度はナマで見てみようかと、今ひそかに思っている次第であります。
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