この前Aプロで、
「大序」「三段」「四段」と、
いわゆる浅野内匠頭の切腹と、お軽・勘平の道行きまでを観た私は、
今回Dプロの「五段」「六段「七段」と、
その続きを見る機会を得ました。
Dプロは、
Aプロの三段目で触れた、
お軽としけこんで大事なお役の日に遅刻してしまったがため、
主人・塩冶判官(=内匠頭)の「松の廊下」事件の蚊帳の外となってしまった勘平が、
一緒に逃げたお軽の郷里で猟師になっているところから始まります。
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二幕構成となっていて、
一幕目の「五段」「六段」の主役は、勘平(勘太郎)。
雨夜の山中で猪を追いつめ、しとめたと思ったらそれは人間、
薬籠を探すために胸のあたりをまさぐると大金を持っていたことから魔が差し、
その金を由良之助(=内蔵助)に軍資金として渡すことで、
不忠者の汚名を返上し、武士として返り咲き仇討ちに加わることを夢見る。
しかし、その大金50両は、
なんと舅が娘・お軽(七之助)を祇園に身売りして作った金だった!
夜陰で判じなかったが、「あれ」は舅だったか、と愕然とする勘平。
婿である自分の出世のためにと娘を売るまでしてくれた人を、
この手で撃ち殺し、その上、金まで盗んでしまうとは・・・。
がっくりとうなじを垂れ、自分のしでかしたことにおののく勘平の苦悩を、
周りは、妻のお軽が祇園に売られてしまうための嘆きと勘違いする。
家には祇園の女将お才(孝太郎)と、女衒の源六(勘三郎)が、
残りの50両と引換えに、お軽の身柄を持って行こうとしていたのだ。
「舅殺し」の罪に押し潰され、いっぱいいっぱいな勘平。
そうとは知らず
「私はどうすればいいの? あなたが決めて」と迫るお軽。
お軽にしてみても、人生まっさかさまに転落するかしないかの瀬戸際だ。
女はモノでしかない。
父親に売られる。
夫のために売られる。
しかたがないと思いつつ、お軽は心のどこかに
「もしや、ギリギリで引き留めてくれないか」という希望を消せない。
2人寄り添い、しかし互いに顔を別々の方向にそむけ、
ただ手だけをぐっと握りしめて見栄を切る。
美しさの中に、悲しさが満ちる。
「もう、行くわね。行ってしまうわね。行っちゃうからね。ね、ね・・・」
うなだれる勘平に未練を残しつつ、
立ち去ろうとするお軽を、
最後の最後にたまらず呼び止め、抱き合う二人。
何という悲劇、何という緊張感、
何というカタルシス!
「じょ~~だん言っちゃいけねえゼ!!」
絶妙な間合いで、割って入るのが、女衒の源六に扮する勘三郎である。
思いっきり糸が弛む。
場内、笑いに包まれる。
若い二人にしか目が行っていなかったのに、
一転、すーべーて、勘三郎に持っていかれてしまう。
正直、キリキリと張り詰めたものから解放され、ホッとする感じ。
でも、もし下手な役者が切り込んだら、
「いい場面が台無しだ!」としらけかねない。
超一流の喜劇役者ならではの真骨頂だ。
お軽が家から祇園へと連れ出されたあと、
父親の遺骸が運ばれてくる。
舅が死んだと聞いても驚かない婿に不信を抱いた姑は
血まみれの財布を勘平の懐から探り出し、「舅殺し」をなじる。
姑・おかやは本当にかわいそうだ。
娘は売られる、夫は殺される。
殺した男のために、夫は娘を売った!
そんなひどい男に、娘は惚れた!
売られる娘との別れ際、
「祇園の客には、ひどいのがいるらしいから気をつけなさい。
髪切れ、指切れ、と心中立てを強いるものもいるという。
髪は切っても伸びるけど、指など絶対切らないように・・・」と
娘の手をとって泣き崩れるおかやに、
自分は一つも納得していないその悔しさが滲み出ていた。
この家のことを決める権利は夫に。
その夫が帰ってこないとなると、婿に。
女には、どんなに分別があっても何も決める権利はないのだ。
娘が売られたのは、この男のせい!
夫が殺されたのは、この男のせい!
全身で勘平をなじり、たたき、泣き叫ぶおかや。
金ほしさに舅を殺したのではない、そんな人非人ではない!
それだけはわかってほしい勘平も、
姑の怒りと哀しみの前に、申し開きの口火が切れない。
息も絶え絶えの二人の修羅場に、
不破数右衛門と千崎弥五郎がやってくる。
その瞬間である。
勘平の目から罪人の愁いと諦めが失せ、
一縷の希望の蜘蛛の糸にとびつかんとする
武士の面差しが戻る。
はだけた着物の前を合わせ、
乱れた髪をなでつけ、
腰に大小を差し、
その腰のものの鞘を少しずらして刀の一部を鏡に見立て、
もう一度、髪の乱れを直そうとする念の入れよう。
逃がすまいと立ちはだかる姑をいなしながら、
勘平は必死で身なりを整え、
「彼ら」を迎え入れようとする。
なりたいのだ。
武士に戻りたい。
ここから抜け出したい。
恋女房・軽との愛の日々、貧しくつつましく、平穏な日々よりも、
武士でありたい。
自分は百姓じゃない、武士なんだ!!
勘平の本音を残酷なまでに見せ付ける、
このシーンは秀逸である。
復帰のためには、妻の身売りも折り込み済み。
卑怯にも自分から言わなかっただけで、
舅はそんな婿の気持ちを察しただけなのだ。
こいつ、ワルだよ。
ワルっていうか、
ダメンズの典型。
女は、こういうのにひっかかっちゃうんだよね。
本気でお軽のこと好きだし。
本気で主人には忠義を感じているし。
お軽の両親にだってやさしいし。
「ボク、百姓やります。
このあばら屋の雨漏りだって直します」みたいな。
でも、
心の底では「しくじった」と思っているんだよね。
それが、
最後の切腹の段のセリフに現われている。
「考えてみれば、どうしようもない男の、情けない人生でした。
“いろ”にふけって大事な場面に遅れ、
舅を殺してしまって懐の金を軍資金にと持っていき、
その金は、妻の身売りの金だったとは・・・」
どこでボタンを掛け違えたかっていえば、
“いろ(情人)”つまりお軽なんかに骨抜きにされちゃって、
そこがいけなかったっていうんだから。
いまわのきわに、それだから。
最終的に、舅は別の男に切り殺されて金を奪われ、
勘平は、その男を撃ったということが分かり、
「はやまったか、勘平!」と誤解は解け、
「名誉」は回復されて、連判状に血判を押す、という話。
形としては、忠義の男を描きながら、
これを見て「忠義、サイコー」と思った人はどれくらいいるんだろう?
忠義やら、敵討ちやら、面目躍如やら、
そういうものに振り回されて「生活」を忘れ、
自分の周りにある大切なものを見失い、
地獄に堕ちていく愚かな男たち、哀れな女たちの物語、
それが「仮名手本忠臣蔵」なのだ。
忠臣蔵、深い・・・。
江戸時代にも、野田秀樹はいたんだな、という感じ。
だって、
このお軽も勘平も、実在の人物とまーったく違う設定なんですよ。
史実としては、
「かる」は内蔵助の山科時代の妾の名。
ここまでダメンズに描かれた早野勘平のモデルとなった義士・萱野三平は、
主人への「忠」と父親への「孝」の板ばさみとなって、
討入り前に自害した人物。
つまり、
このあまりにも有名な「お軽・勘平」カップルは
まるごと作り物。
作り物だからこそ、純粋に
私たちのリアルな感情が抽出され、凝縮され、昇華され、
この二人が光り輝くんでしょうね。
「これはフィクションであって、実在の人物・団体には一切関係がありません」
といって、
名前や設定を変えて「仮名手本忠臣蔵」は成立しています。
でも一方では「あの事件」「あの人」であることは明々白々。
赤穂浪士の「忠義」事件に沸く世間の波に乗るようにして
ワイドショー的に視聴率アップのネタとして取り上げ、作られたものです。
でももう一方では
「そうはいっても“忠義”ってナンボのもの?」
という冷徹なジャーナリストの目をしっかりもって
世間も気がつかなかった“忠義”の裏側をこれでもか、と描きまくる。
人間の心の奥底をぐぐーっとえぐる、
ものすごい話でした。
明日は、七段「祇園一力茶屋の場」と、
全体の感想などを。
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