中村座は26日が千秋楽ですが、ぜひぜひご覧あれ!
若い力の放つ今でなくては見えないものがたくさん観られます。
「車引き」「賀の祝い」では、
そうそう、松王丸も梅王丸も桜丸も、三つ子の若者だった、ということを、
ひしひしと思い知らされます。
いっつも重鎮で演じられるので錯覚しちゃいますが、
兄弟げんかして桜の枝折って「オレじゃない、知らん」とかうそぶいて、って
そういう他愛のなさがとても自然です。
しかし、白眉は菊之助の桜丸!
舞台に出たとき、すでに自死を覚悟している者だけが放つ静謐さが見える。
人形のように美しい頬をつたう一粒の涙のぬくもり、
九寸五分のきっさきに思わず飛びつく妻・八重とみつめあい、
「どうしようもない別れ」を前にして、無言で交わす妻への思い…。
翻って「寺子屋」ではその菊之助が源蔵となる。
松王丸の勘三郎を相手に一歩も引かず挑みかかる、
その気迫。
松王丸が息子小太郎の死に直面しながら
「それにしても、桜丸が、桜丸が…」と泣き咽ぶ意味が身にしみるのは、
「通し狂言」ならではの物語の重みだと感じました。
源蔵・松王丸という
主・菅原道真に対し不忠者と烙印を押された2人の忠義者が
いずれも「不忠者ではない」証を立てんがため、
何の罪もない子どもを手にかけて殺す、その母も必要とあらば殺そうとする。
かたや、自らの子を身代わりとして差し出す。
子を殺された者と、その子を殺した者とが
ともに首無し遺骸を弔って
その原因ともなった主の妻子を讃えつつ幕が下りるという
なんとも心騒ぐ「寺子屋」という演目のもつ
登場人物の複雑な心情と物語りの深遠さは
手だれではなくフレッシュな人々が改めて読み解いてこそ
私に伝わってきたのではないかと思いました。
七之助も源蔵の妻・戸浪という重い役を好演。
歌舞伎座さよなら公演の勘三郎の戸浪をほうふつとさせました。
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