歌舞伎座が閉場してから、
歌舞伎は新橋演舞場で観るようになりました。
横長の歌舞伎座の華やかさに見慣れていると、
新橋はちょっとこじんまりというか、
舞台装置が詰まりすぎな感じがするときがあります。
でも役者は一回り大きく見えたりもしますから、
演目によっては迫力も出たりします。これは一長一短。
それより気になるのが、
どうにも「熱」が足りないところ。
なぜか散漫な空気が漂っているように思える瞬間があるのです。
それは
「さよなら公演」の1年、特に最後のほう、
チケットをとるのも大変で、熱気に溢れていたためで、
単にそのフツーではない熱がさめた感じで
いうなれば
今まで歌舞伎を見たこともない人も押し寄せた、
「さよなら公演」の歌舞伎座の、特異な雰囲気に比べたら、ということだろう…と
私は最近まで思っていました。
けれど先日「錦秋十月大歌舞伎」を観に行って、
いやそうじゃない、
これは大変なことが起こっている!と危機感を覚えたのです。
「どんつく」という演目を観ていたときでした。
魁春扮する白酒売りが、チャッという音とともに花道から出てきたのですが、
なんと、誰も「拍手」をしない。
魁春ほどの役者が出てきたのに、一体どうしたことか。
「拍手」という文字をみて、首をかしげた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
普通、歌舞伎といえば、拍手でなくて掛け声です。
まず一番の変化は、演舞場では掛け声が少ない。その分、拍手は多い。
たとえば私を例に挙げれば、
私は拍手はしますが掛け声はかけない。掛けられないといったほうが正しい。
大向こうでないと、絶妙なタイミングで粋な掛け声は難しいもの。
だから、
無難な拍手で盛り立てるわけです。
「無難な拍手」は登場のときより、退場のときに起こります。
退場する人には、どんな役の人にも拍手がわいてしまったりもします。
みんな、いつどこで誰に拍手していいものやら、わからないのです。
歌舞伎座での「さよなら公演」では、
観客が拍手のタイミングを今か今かと、それこそ前のめりになって待っていた。
その拍手を先導し、コントロールしていたのが
大向こうの掛け声だったんですね。
また大向こうの人たちも、競ってご贔屓さんの屋号を叫んでいました。
たくさんいらしたものです。
でも、歌舞伎座の大向こうの方というのは、
3階B席とか4階幕見席に陣取っていらっしゃる方が多かった。
演舞場に幕見はないし、
3階も非常に席数が限られていて、チケット代も高めです。
つまり、
15,000円あれば、1階席で1回見るのではなく、2500円や3000円
あるいは1000円切った幕見の席で10回も15回も観に来ていた方々が
演舞場には頻繁にはお見かけできなくなった、ということではないでしょうか。
でも大向こうの会の方々は木戸銭御免であるという話も聞いています。
そうだとしたら、お金の問題じゃないですよね。
じゃあ、どうしてなんだろうな~。
わかりません。
でも、歌舞伎座のときより掛け声が減っているのは明白です。
3階席というものは、花道での出来事をほとんど見ることができません。
だから大向こうは、
正面の舞台上での登場や見得を切る場面はともかく、
花道からの登場では「チャッ」という音をたよりにタイミングを見計らい、
それで声を掛けていたはずです。
登場した人の顔を見てからではなく、
誰がどのタイミングで登場するかを知り尽くしている人たちが
舞台上の役者さんとともに、会場の雰囲気をどれほど作っていたか、
そこに私はようやく気付いたのでした。
俳優さんたちも、掛けられるはずの声が聞こえないと、さびしいことでしょう。
だからといって、大して歌舞伎のことも知らない私が
野暮すぎる掛け声をするのは掟破り。
私はせめて拍手で、盛り立てていきたいと思います。
自分は舞台上の歌舞伎だけでなく、
あの掛け声と一体となった「歌舞伎」を楽しんでいたのだな、と
改めて「歌舞伎」というエンターテインメントのインタラクティブな仕掛けに
気付いた、というわけです。
演舞場に来たら、みんなで、せめて臆せず拍手しましょうね!
拍手のタイミングくらいは、一生懸命考えようと思います。
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