それを「わがまま」と書くことを、
まずお赦しいただきたい。
私は、彼を非難してこの言葉を使っているわけではないのだ。
一生に一度だけ、
ダメもとでも通したい意地。
それを敢えて、「わがまま」と言ってみた。
父親に会うために行った歌舞伎座で、
楽屋に通されることもかなわず、
羽交い絞めのようにして連れ去られた25歳の青年の思い。
猿之助を許さず、歌舞伎を許さず、
男子を産みながら決して息子を梨園に渡さなかった女優の思い。
息子である自分を東大にまで入れ、
女手ひとつで育て上げた母の思いを痛いほど知りながら、
俳優となった息子の思い。
俳優ではなく、歌舞伎役者にならなければ、と思いこんだ息子の思い。
歌舞伎役者の息子に生まれたからには、
自分も、自分の息子も、歌舞伎をやらない人生はおかしい、という結論。
46年間をかけた親子2代の恩讐と情念と、
胸がはりさけるほど悲痛な、父を求める気持ち。
「わがまま」でいいじゃないか、と思う。
その「わがまま」を口にするために、
幼いころから口にしたかった、でも決して口には出せなかった
「歌舞伎がやりたい」という言葉を正当化するために、
香川照之の46年はあったのかもしれない、とさえ思う。
一つ付け加えるとすれば、
彼がそれを現実にしたのは、
自分のためではなく、息子のためである。
人間は、自分のことは我慢できるが、子どものためなら話は別だ。
どんなにぶざまな様を呈しても、
親は子供のためにその一歩を踏み出す。
母にどんな思いがあろうとも、
子の一念にはかなうまい。
母親孝行は、たくさんしてきたし、
これからも母親はあなた一人なのだから。
親は子の邪魔はできない。愛しているから。
この母もまた、
子のために自分の血を吐く思いの執念を捨てた。
伝統芸能を愛する人々には
悠久の時間が流れている。
私たちが楽しみににしているのは、
すでに市川団子が成人したときの澤瀉屋の隆盛だったりする。
まだ「亀治郎」の名を捨てきれない新猿之助が、
そのころどこまで大きな「猿之助」になっているのか。
そのとき、新猿翁と、浜木綿子と、香川照之のDNAを持った団子は
父がどんな思いで自分を歌舞伎の世界に「戻し」たかを理解し、
精進する日々を送っているのか。
そんなことを考えている。
香川が歌舞伎をやること自体も、
それほど驚くにはあたらない時代にもなった。
コクーン歌舞伎、蜷川歌舞伎、
歌舞伎座の敷居もだんだん低くなってなんでもありである。
歌舞伎を愛し、
歌舞伎のエネルギーを信じ、
芸に真摯であれば、
客はよろこび、歌舞伎も栄えよう。
唯一、気になるのが市川右近のこれからである。
いったんは猿之助の後継者と名指しされたこの人の
今後の処遇は如何?
私は亀治郎の猿之助襲名は妥当だと思っているので、
いつかはこうなるだろうと思っていたけれど、
香川照之の中車襲名とダブルであったことで、
ある意味こちらの問題がかき消されてしまったことが、
逆に跡を引かなければいいなと思う。
右近丈にも右近丈の歌舞伎を、まっとうしてもらいたい。
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