6月は昼と夜と観ましたが、
7月は、6月と同じ演目の「ヤマトタケル」はパスして、夜のみです。
「将軍、江戸を去る」→口上→「黒塚」→「楼門五三桐」。
特筆すべきは、やはり新・猿之助の「黒塚」でしょう。
鬼女が老婆として高僧たちを家に迎え入れる、抑え気味の序盤はともかくも、
その老婆が月夜のすすき野に立ち、
人生初めて感じた「これからへの希望」におずおずと手をさしのべ、
たゆたうように舞う中盤と、
そして絶望と憎しみに総毛立って「たばかったな」と高僧に襲い掛かるクライマックスは
特筆い価する出来だったと思う。
押しつぶされるような空気が支配する演目中、救いになったのが猿弥。
ふっと場をなごませるはずし方も抜群だが、
猿之助に投げ飛ばされる受けの立ち回りが素晴らしく、
主役を引き立てる脇役の技術とはこういうもの、と舌を巻いた。
「将軍、江戸を去る」は、真山青果の新歌舞伎。
台詞劇なので、中車に山岡鉄太郎役がまわってきた。
ところが、先月の公演でつぶした喉がまだ回復していない。
重要な人物の声が、門番みたいな端役の声より通りが悪いのは、
歌舞伎の舞台では致命的だ。
オペラと同じく、やはり声が美しいものが主役だったり正義の味方だったり、
そんなふうにイメージするように観客の脳ができあがっているから。
十五代将軍役の團十郎も、この日は声に痰がからむ。
からむが、聞かせどころの大切な台詞は朗々と響かせて見得を切る。
これこそ、長年培った経験からくる技術なのだろう。
中車にも、舞台人の喉を獲得できる日が訪れるのを、辛抱強く待ちたいと思う。
「五三桐」では猿翁の出演がすべて。
病を得て8年、もうダメかと思っていた三代目が猿翁として舞台に立つ。
普通にやっても15分くらいの短いものを、
それをさらに短縮して10分間くらいにまとめ、
猿翁の負担を出来うる限り少なくして臨んでいる。
そんな中で、猿翁は台詞も言う、聞くところでは手も挙げるらしいとの噂。
人々の関心は、いよいよその1点に集中する。
海老蔵が主役の石川五右衛門に扮して三門にどっかと腰をすえ
「でっけえかな、でっけ~~えかな~」と叫ぼうと何しようと、
そんなのはただの前振りにすぎない。
観客は、ただただ「そのとき」を待つ。
やがて猿翁は舞台中央からせり上がってくる。
長い拍手。次々と競うようにかかる大向こう。
ややあって、台詞だ。
「濱の真砂の…」はちょっとしどろもどろだけれど、
「石川五右衛門!」の声がはっきりと会場全体に響き渡ると、
もうそれだけで観客はうっとりとして拍手、拍手、拍手!
拍手鳴り止まぬ中、カーテンコール。すると、
黒衣を着て後見となったのが、中車であるとわかる仕掛けでまた拍手。
観客、大満足のうちに、追い出しとなる。
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6月も7月も、大入り満員のこの襲名興業。
動員の要員に、猿翁復活と香川照之改メ中車襲名という二つは大きい。
どこまでできるか非常に未知数だった猿翁は予想以上に蘇り、
「恩讐を越えて」の中車襲名は舞台よりドラマチックで同時代人の心をくすぐった。
読みは当たった。
けれど、忘れてはならない。
この襲名の主役は、本来は四代目市川猿之助(亀治郎改メ)なのである。
2ヵ月の公演中、
猿之助は二つの宙乗り芝居(こういうくくりは嫌がるだろうが)に奮闘したが、
新・猿之助個人の魅力としては、
私は今回の「黒塚」に彼の本来備わる力がもっとも出たと思う。
また、そうなるようにとの期待を裏付けるように、
お囃子方も主力メンバー勢ぞろいで素晴らしかった。
そこまで作り上げた歌舞伎としての優れた舞台も、
結局は最後の5分間の「猿翁は元気、息子が後見」で
全部もっていかれてしまったことになる。
そういう襲名披露公演のあり方は、幸せだったのか、不幸だったのか。
「亀ちゃん一人でもちゃんと襲名披露公演成り立つのに」という気持ちを、
持っている亀治郎ファンは多いと思う。
せっかくの華々しい襲名披露なのに、目立たないのはカワイソウだし。
でも、
当の新・猿之助は、そんなこと意に介していないと思う。
これは、猿之助一門にとって、区切りの興業なのである。
だから「千本桜」と「スーパー歌舞伎」を並べてもいる。
猿之助一門のメジャーお披露目に、一門一丸となって取り組んだ。
それがこの大入りという結果に結びついた、
大成功なのだ、と私は考える。
そして、
その悲願の重さをまざまざと思い知ったのが、翌々日に観た松竹座の
「三代目中村又五郎襲名披露公演」の口上であった。
その話は、また明日に。
- 舞台
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