仁左衛門、なんであなたはそんなにすごいのか!
最初出てきたときは、あまりの軽々しさに、
「え、仁左衛門ってこんなだったっけ?」と思ったけど、
それは若く未熟な三下の雰囲気を出していたのね。
話が進むにつれてどんどん重厚になり、
最後は親分ぽくなるんだから。
たった二時間かそこらで
「人生が男の顔を作る」を見せてくれてしまうなんて。
でも段四郎もやくざの親分、かっこよすぎ。
見ていて、
ここに私の知ってる「やくざものの時代劇」の原点があるって思った。
歌六も吉右衛門も存在感たっぷりだけど、
ちょっと軽めの大工(佐吉の弟分)を染五郎が好演。
彼はこういう二枚目半の役がうまい。
孝太郎って、時々杉村春子みたい、と思うのは私だけ?
お姫様もうまいけど、今回のお八重みたいな、強気の女性もリアルで好きだ。
錦之介なんか、ものすご~くかっこよかったのに、
あっという間に切られておしまいになってしまって、
その意味ではぜいたくすぎる布陣でした。
このお話、一番太い筋は
大店の長男として生まれた卯之吉が、
目が見えないからといって家から出されてしまい、
めぐりめぐって佐吉が養い、7年後に大店に返されていく、という話なのだけれど、
泣いた。ポロポロ涙があふれ出た。
あちこちから鼻をすする音がした。
仁左衛門(佐吉)があまりに子煩悩だったから、
終盤、実の母(福助)がやってくる場面では、
これから起こることが想像できてしまって
まだ何も話されてないのに、もう涙が流れてきて仕様がなかった。
ほとんど、一心同体というか、感情移入しまくり。
ただ
とっても切なかったのは、
私の2列くらい前に、目の不自由なお客さんとその母親らしき二人連れがいたの。
白い杖で開幕前から私はわかっていたので、
この卯之吉がまだ乳飲み子だというのに、やっかい払いされる場面になったとき、
ものすごく胸が痛んだ。
お母さんが息子さんに、何か囁いたようだった。
息子さんは、うなずいていた。
何か、気遣ったのかな。
真山青果の戯曲はそれはよく書かれていて、
「めくら」とか「かたわ」」とか、「やっかい」とかいう言葉は使われていても
ちゃんと「一人の人間なんだ」とか「絶対に誰にも渡さない」とか、
最終的に卯之吉をハンディのあるなしに拘わらずに尊重しているし、
「捨てた」はずの生みの親にも苦悩と悔恨と愛情があったとわかるのだけれど、
その過程の話として
「一生その目を売って(見世物小屋などに出て)暮らしていくのか」とか、
当事者とすれば、聞くのが辛すぎる言葉がガンガン出てきて。
こういうお芝居だと知ってて来たのか、知らずに来たのか。
「荒川の佐吉」が終わって次の演目が始まったときには、
あの親子はもういなかった。
最初から時間の都合でそうだったのならいいのだけれど、
たまらなくなって途中で退出したのだったら、と思うとやるせない。
最後まで見て、初めて話の行方がわかるようなお芝居だっただけに、
せめて最後まで見ていってくれていたらいいな、と願う。
(私は途中から話に入り込んでしまって、彼らがいついなくなったのかわからなかった)
でもそれよりなにより、
致命的なダメージを受けていらっしゃらないことを望む。
ご本人も、親御さんも。
私も、違うお芝居で似たような経験があるので、
どんなに素晴らしく、丁寧に描かれていても
誰かを傷つけずにはおけないのが芝居というものなのではないか、と思う。
特に不意打ちだと、
このインパクトは計り知れない。
心の一番奥をえぐり取られるような痛み。
これからも、時々フラッシュバックしてしまうくらい、深い傷。
ただ、
その傷をじんわり癒やしてくれる力も、お芝居は持っている。
まったく傷つかずに生きていけるものではないけれど、
その傷に耐えられるだけの力が備わってからであってほしいし、
もし傷ついてしまったのならば、
お芝居を憎まず、今度はその傷から解放されるお芝居に出会ってくれたら、と思う。
- 舞台
- 11 view
この記事へのコメントはありません。