2014年最後の舞台鑑賞は、能楽でした。
その中で、「安宅」と「橋弁慶」について書きます。
今年は
歌舞伎で「勧進帳」三様(吉右衛門、海老蔵、染五郎)、
文楽で「橋弁慶」「弁慶上使」「鳴響安宅新関」、
能で「安宅」と「橋弁慶」と
さまざまな弁慶話を観ることができました。
歌舞伎の「勧進帳」を観てから能の「安宅」を知ると、
おお、あの場面、この場面の元がこれだな、とわかってうれしい。
また逆に、
「あれは歌舞伎ならではの入れ事だろう」と思っていた場面まで
けっこう能の中にあったりして、びっくり。
ものすごく変化に富んだ大曲で、
初代市川團十郎が歌舞伎にしたい!と思った気持ちがわかる気がしました。
そして本歌取りではないけれど、
歌舞伎の「勧進帳」は本当によくできていると思った。
能の魅力をそのままに、プラスアルファで魅力満載!
特に長唄は絶品です!
三味線という楽器が日本文化と感性に与えた影響の大きさを感じました。
また、
富樫がなぜ義経を逃がす決断をしたのかを
深く考える年でもありました。
富樫が一体どこで義経を逃がす決断をしたのか、
もっといえば、どこであれは義経だと気づいたかというのは、
富樫を演ずる役者がその時々に考えるほど深い問題です。
これまで、
私はそのへんを納得させてくれる舞台にあまり出会っていませんでした。
山伏問答など前半は魅力的でも
途中から「さ、それは」と口ごもったり、「従者が…」など人のせいにしたりで
富樫はいつも腰折れになってしまいます。
すごく偉い人のはずなのに。
義経をわざと逃がすほどの、「考え深い」人のはずなのに…。
染五郎の弁慶・幸四郎の富樫を観たとき、
私はようやく「なるほど」と膝を打ちました。
(染五郎の弁慶については、11月のカンゲキのまとめにも書いています)
弁慶が「主人を打擲する」までして主人を逃がそうとする
その気迫と主人に仕える気持ちの高さに
富樫は自らの武士としての立ち位置を顧みた、という気がしたのです。
時の政権に右往左往するのではなく、信じる道を行くものに打たれた、というような。
そういう高潔な人物に出会って、自分も自分の信じる道を歩くと決めたというような。
そんな富樫で、
これまででもっとも理解できました。
ところが能の「安宅」では、
またまたこれまでとまったく異なる富樫像が浮かび上がったのです。
従者に言われて弁慶たちを呼びとめたあとの、
弁慶の、富樫への迫り方が尋常じゃない!
歌舞伎では
弁慶がいきり立つ四天王を金剛杖で押しとどめているように見える場面があります。
能では、そのまったく同じ場面で、
弁慶が迫っていくところに、四天王が加勢するように感じたのです。
歌舞伎座など大劇場の空間と、
能舞台という小さな空間との違いもあるでしょうが、
とにかく目の前で身体の大きな山伏に棒振りかざされて、
その背後にフォワードラガーマンみたいな山伏が大勢スクラム組んでにらんでたら、
本当に恐ろしいと思う。
大体、仏をないがしろにすることが、
いかに恐ろしいことか。
平清盛は比叡山の僧兵に弓引いたことで世間をあっと言わせ、カリスマとなりました。
織田信長も、やはり比叡山を焼き討ちして「僧兵は俗物」と切って捨ています。
この2人は、いわば別格。
もっといえば、
清盛以降、信長までは、誰も「仏の力」に対抗することはできなかったのです。
「安宅」の舞台はその清盛が死んでまもない頃の物語であり、
作られたのは、信長の叡山焼き討ちより100年も前。
この時代性を考えると、
「山伏を通すな」は世俗と聖職のせめぎあいでもあり、
そこをわかっているから逃避行に「山伏」の恰好で臨んだともいえます。
能の富樫は、勧進帳を読ませた段階ですでに
「仏に仕えるもの、東大寺に関係するものを疑ってすまなかった」と言っている。
まなじり決して一歩も引かず、対峙する山伏姿の弁慶たちは、
きっと不動明王にも阿修羅にも映ったことでしょう。
それまでに安宅の関を通ろうとした他の山伏については、
「つくり山伏」と断罪、処刑しても何とも思わなかったのに、
弁慶たちにはそうやすやすと「ニセ」と決めつけられない気迫があった。
「もし本当の山伏だったら、自分は仏に弓することとなる」の恐怖に
富樫はひるんだのです。
あとから酒を出したりしていますが、
それに対して弁慶は「絶対に悟られるな」と他の者たちに注意をします。
弁慶も最後まで気を抜いていないし、
富樫もまた、
「もししっぽを出すような俗人であったなら、そのときは」と
通しつつも様子をうかがっていたのではないでしょうか。
また、
「橋弁慶」も衝撃でした。
「五条の橋の上で千人斬りをしている」のが
弁慶ではなく牛若丸だったからです。
私の記憶では、弁慶が五条の橋の上に陣取って99人を負かしていて、
あと一人で100人になるところ、
牛若丸がやってきて弁慶を打ち負かし、弁慶が降参したとばかり…。
調べてみたら、
実際そういうふうに伝わっているものもあるようでしたが、
鞍馬寺で天狗に剣術を教わった牛若丸は、
ものすごく「コワイ」妖怪のような存在としても伝えられていたのね。
狭い能舞台で、大きな薙刀を使っての殺陣(?)が
ものすごい迫力でした。
それも義経は子方。ほんとの子ども、小学生です。
「千人斬り」をやっているその恐ろしさが
直前のシーンで狂言方によって予め演じられてるから、
なおさらだったのかもしれません。
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