2008年5月14日夜、東京文化会館大ホール。
立錐の余地もない2300席。
そこにいる誰もが固唾を飲んでみつめる。
「白鳥の湖」も後半、第三幕。
荒井祐子が完璧なオディールを見せた舞踏会でのグランパ・ド・ドゥのアダージオ、
その後だ。
一人になった熊川が、ゆっくりと上手奥まで歩を進め、止まった。
音楽。
滞空時間の長い跳躍が、そこにあった。
熊川独特の美しい流れるような弧が、
今夜、それまで誰も到達しえなかった高みに残像を残しながら描かれる。
会場の空気が一瞬で変わった。
2300本の緊張の糸が一斉にほぐれ、歓声と拍手が沸きあがる。
そう、今夜集ったすべての人が、
この瞬間を待っていた。
いや、2301本の緊張、というべきか。
熊川もまた、笑顔だ。
もしかしたら本人が一番、待ち望んだ出来だったのかもしれない。
一幕での、どこか不安げな、抑え気味のジャンプとは比べものにならない。
この舞踏会のソロにすべてを賭けていた彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。
気がつけば、拍手など追いつかぬほどの、技、技、技の連続。
その一つひとつが丁寧で、一つ図抜けて、熊川らしい。
ソロが終った時の喝采は、長く長くとどまることを知らず、
一度上手に引こうとした熊川は、再び胸を張り、
観客に応えた。
仁王立ちである。
「ほら、できたでしょ。これが、僕のパフォーマンスですよ。みんな、覚えててくれた?」
続くコーダはさらに圧巻。
荒井祐子の連続フェッテも素晴らしかったが、
その後の熊川の超高速ピルエットは、劣らず高速の音楽に乗りに乗って、
宇宙ゴマのように目にもとまらぬ速さで回り続けた。
これが物語の一場面であることを、忘れてしまうかのような、
狂喜の喝采。
ジークフリートとオディールの間に割って入って次につなげたロットバルト(キャシディ)だが、
ほとんど、熊川と観客の間を引き裂いた、という感じであった。
熊川哲也、完全復活。
今の時点で、ここまでやってしまっていいの?というほど、
力みなぎるパフォーマンスだった。
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予兆は、第二幕、オデットとのアダージオに見えていた。
荒井祐子と熊川哲也は、まるで二人の会話が聞こえるかのような丁寧なマイムで
観客を白い幻想の世界へと誘った。
一幕で、熊川が大した運動量でもないのに汗びっしょりで息が上がっているのを見ていた私は、
これから先、出ずっぱりの舞台が持つのか、とても心配だったが、
オデットを追いかけるときも、
オデットをリフトするときも、
一つも不安を感じさせなかった。
そして当夜のオデット・荒井祐子が、物語をぐんぐん引張っていったのである。
どちらかというと、キトリなど、おきゃんな娘役が似合うとされる荒井だが、
今日のオデットはロットバルトという鎖につながれた女性を演じ、白眉。
最初はしつこく追い回す王子を、礼儀正しく拒む、といったふうだったのが、
中盤、すっと王子の胸に飛び込んでいってから独特の魅力を開花させる。
妖艶なオデット。
熊川に後ろから抱かれ、ゆっくりと揺らされて悦楽にひたるその表情は、
まさにエクスタシー。
ロットバルトのことも、呪いのことも、すべて忘れ、
初めて知る恋の炎に、ただただ身を熱くする女の幸せを体現していた。
「白鳥」の二幕で拍手がなりやまず、
プリマが進み出て何度もお辞儀をする、なんていうことは、今まであまり見たことがない。
それくらい、美しく、感動を呼ぶ愛のパ・ド・ドゥだったのだ。
幕切れのオデットが、また新たな顔を見せる。
呆けたような、夢見るような。
最愛の人と結ばれた後、楽園の雲間に身をたゆたせながら、
幸せすぎて飛んでいってしまいそう…
勝手に羽ばたいてしまうオデットの腕を王子が静止しようとやさしく握る。
体のほてりが止まないまま、その熱さをいまだ瞳に宿して王子をみつめるオデット。
しかし。
羽ばたいた腕は、楽園を目指してはいなかった。
心は王子のほうを向いているのに、体はロットバルトがつかんではなさない。
オデットが完全に「白鳥」にさせられ、静かに去っていくとき、
その瞳は、大きく、しかしうつろに開いたままだった…。
今まで、いろいろなオデットを見てきたけれど、
愛を確かめ合った後で引き裂かれる辛い想いを、こんなに強く感じたことはなかった。
幕切れで涙したのは、これが初めて。
こういうストーリーを共有していると、
第三幕、6人の花嫁候補には目もくれず、
「もしかして、オデットがやって来ないか…」と広間の入り口あたりをうろうろしたり、
拾ったオデットの羽根を胸元に入れて大事に隠し持つ王子の心情に感情移入。
オディールと間違っちゃったのも、ちょっぴり許してあげられるというもの。
そのオディールの踊りが、またまた完璧なものだから、
あれほどオデットの味方だった私でさえ、やんややんや。
挑発するように、甘えるように、からかうように、
王子を自由自在にほんろうするオディール。
ものすごい勢いで右に左に、上に下にと、重力を感じさせずに移動するオディール。
それを見事に黒子になって支える王子、熊川。
両手を頭上にしてアラベスク、上げた片足を微動だにせず、ポワントで立ち尽くすオディールは、
まるで一枚の絵だ。
いつまで続くとも知れぬ、サポートなしの一人立ちに、
観客はただ熱い拍手を送るしか応えようがない。それだけではもどかしいほど。
そうだ、
一人二役の「白鳥の湖」は、こうでなくっちゃ。
プリマを観にくるのだ。
彼女の、最高のパフォーマンスを。
静も、動も。光も、影も。
あらゆる角度から、「私はプリマ」のオーラを発する人だけが、
この二役を見事にこなす。
本来なら、王子は最初から最後まで、ノーブルな黒子でもかまわない。
しかし、
熊川はここまで完璧なオデット/オディールを演じた荒井の、
そのまた上を行ったのである。
恐るべし。
もちろん、東京での全幕復帰初日だったということもある。
みんな、熊川が「踊れるか? それも、以前のように」だけを知るために来た。
しかし、
神がかった彼のパフォーマンスを呼んだのは、荒井祐子の力である。
舞台は、舞台人が作る。
そして、観客が作る。
このことを実感した一夜だった。
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いい舞台に水をさすようですが、
どうしてホルンは音が割れたりひっくりかえったりするんでしょうか?
バレエで管楽器は大事なところでソロが多いので、
ここで失敗されると本当にがっかりします。
昨日はファンファーレのトランペットも…げんなりです。
ストリングスがとてもよかっただけに、とても残念。
シアター専門オケなんですから、よろしくお願いいたします。
あと、
一幕のパ・ド・トロワ(東野・松岡・輪島)は質が高かった。
一幕は王子の見せ場がなかったので、ここがよくて引き締まりました。
考えてみれば、別の日には、この3人が主役を張るわけですから、よくて当たり前?
というか、主役級がここで踊れる層の厚さがこれまでと違いますね。
熊川のお休み期間に、ファーストソリスト、ソリストは、とても伸びたと思います。
二幕は四羽の白鳥! シンクロ度100%で、荒井さんの大喝采のすぐ後だったにもかかわらず、
大きな拍手をもらっていました。(神戸・小林・中谷・渡部)
三幕、スペインはよかったけど、
ナポリ・マズルカは民族音楽らしいリズムの乗りがなく、バタバタした感じでイマイチでした。
今回は、熊川・荒井の突き抜けたパフォーマンスで、あとはよくも悪くもかすんでしまいましたが、
「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」など古典中の古典では、
コールドの一人ひとりにまで美しさやスタイルが要求されるものなのだ、と改めて痛感。
Kバレエも、もう一段レベルアップしたら、
本当に押しも押されもしないバレエ団になるのではないでしょうか。
愛情とともに、エールを送ります。
*それにしても、満員の観客席、
以前と比べると男性がものすごく多くなりましたね。老若男女、さまざまです。
拍手のしどころ、熱さも粒ぞろいで、
みなさんバレエを愛していらっしゃることがよくわかります。
もちろん、初めていらした方も多いでしょう。
最初の舞台がこれじゃ、後がタイヘン??
とにかく、いいもの見せてもらいました。
最高です。満腹です。
当分、この夜の夢だけで生きていけます。
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完全復活!熊川哲也@「白鳥の湖」
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