19日(夜)が荒井/熊川、ガムザッティが白石、苦行僧マグダヴェヤが井澤、ブロンズアイドルが池本。
20日(昼)も19日と同じ、
20日(夜)は浅川/遅沢、ガムザッティが井上、マグダヴェヤが兼城、ブロンズアイドルが井澤。
もっとも目を引いたのは、
ブロンズアイドルの井澤諒だった。
池本祥真のブロンズアイドルもよかったが、切れ、スピード、音楽性ともに井澤の勝ち。
井澤はマグダヴェヤも素晴らしい出来で、安定感抜群だった。
20日のマクダヴェヤ、兼城もよかった。
同じマクダヴェヤでも、兼城は足が長くきゃしゃで、井澤より優しいマクダヴェヤだった。
顔も黒く塗っているしざんばら髪だし、ほかの苦行僧は誰が誰だかわからないけれど、
目立つ人はいるもので、3回とも同じ人が目立っていた。
ガムザッティは白石が堂々たる出来。19日バランスが悪かったところを20日にきっちり修正してきた。
井上も大健闘で、多少マイムが音楽とずれたけれど、踊りでは引けを取らなかった。
問題は、浅川/遅沢だ。
悪くはない。しかし面白くない。
溢れるような感情が伝わってこない。無表情。
顔が、手が、大げさに演じていても、それでも踊りが無表情なのだ。
浅川は体調が悪かったのだろうか、身体が硬く、精彩を欠いた。
遅沢も小さくまとまってつまらなかった。
客の入りも悪かった。
急遽の追加公演にもかかわらずほぼ満席の熊川の回に比べ、
20日の夜は7~8割。初日の華やぎはなかった。
単に19日に「もっていかれた」のならば仕方がないが、
もし当初の予定通り、20日夜が初日だったらいったいどうなっただろう、と
一瞬背筋が寒くなった。
熊川が踊るのを決めたのは、「ダンサーとしての欲望」ではなく、
逆に「芸術監督としての環境」を優先したのでは、とさえ思えてくる。
もちろん、熊川の踊りは、絶頂期のそれに及ばない。
及ばないが、その一挙手一投足から紡ぎだされる感情は豊かで、
観客の心を動かさずにはおかない。
寺から出てきたニキヤに手をさしのべただけで、2人の恋路が見えてくる。
あるいは、
それまで花嫁ガムザッティを笑顔でいざなっていたソロルが
ふと胸をおさえただけでこちらの胸が痛くなるのだ。
何を思い出したのだろう。
ふとニキヤとの思い出がよぎったのだろうか。
突然襲ってきた罪悪感に、いても立ってもいられない様子がうかがえる。
遅沢はどうだろう。
どんな気持ちで花籠を渡したのか。希薄だ。
二幕のパ・ドゥ・ドゥはさらにひどい。
もっとも濃密であるはずの影の王国での2人に、
胸熱くなる何物も感じなかった。
後ろ姿は、往年の熊川のように臀部の筋肉が突出しているのに。
これほどの筋肉があるのに。
42歳の熊川の後姿には、すでに「筋肉」を感じなかったのに…。
それでも熊川の勝ち、なのである。
特に二幕のパ・ド・ドゥの美しさは、ただただ見入るばかりだ。
自然と、20年前に見た舞台が重なる。
ほとんど何もない舞台の下手に、小さく浮かび上がる二つの白い影。
運命にひきかえればこれほどちっぽけな存在が
いとおしく光り輝くパ・ド・ドゥ。
後ずさるニキヤを追って一歩一歩導かれていくソロルの、
その足の運び、腕のゆらぎまで、見逃せなかった。
初めてソロルを踊る者と、何百回とソロルを生き抜いたものとの違い。
それを見せつけただけで、今回熊川が踊った価値はあるのかもしれない。
たしかに初日のソロはいただけなかった。
若いダンサーたちに「フルアウトで行け」と常にいっている監督らしからぬゆるみ。
「君はフルアウトか?」と問いただしたいくらいだった。
もしこのソロが熊川のソロルの見納めになるのだったら、見ないほうがよかったとさえ思った。
満員の会場は割れんばかりの拍手で
カーテンコールはものすごいスタンディングオべージョンの嵐だったが、
私は前が見えなくても立つ気にはなれなかった。
しかし、20日は違った。
必死で「フルアウト」を見せつけた。
高く、大きく、優雅に、舞った。
それでも、往年のジャンプではない。しかし「フルアウト」だ。
誰より美しい、滞空時間の長い、理想の自分に挑戦する、フルアウトのジャンプだった。
Kバレエは、コールドの踊りに目を見張る。
ユース出身の若者たちの、足の長さよ! まっすぐさよ!
ジャンプの質も、体幹の安定も、これまでのダンサーたちと一線を画す。
いわば、
高橋大輔の時代から羽生結弦の世代へ、なのである。
西洋で生まれた文化にはちょっと足りない身長や体型を
技術と努力とセンスで二重三重にカバーして、
誰にもできない技を磨いて、世界を驚かしていた時代。
今はまがりなりにも体型的には「同じ土俵」で勝負ができる。
ユースでは、長期展望での教育もなされている。
コールドたちの、いとも簡単にふわりと浮いてみせるちょっとしたジャンプに、
私は大いに期待する。
すごい時代が到来するのではないかとわくわくしている。
しかし。
どんなにうまくても、ダメなのだ。
「この人のバレエが見たい」と思わせる艶がなければ。
舞台に立ったその人と、一緒に息をつめたり泣いたりできる人でなければ。
フィギュアファンが「大ちゃんが見たい!」と思ったように、
私たちは「熊川が」観たかった。
そういう人に、彼らは育ってくれるのか。
その片鱗はもうあるのか、まだないのか。
本当は、池本祥真がソロルの日も観たいところだが、それは日程的にかなわなかった。
あとは、
女性のソロで目を引いた佐々部佳代がニキヤ/宮尾俊太郎がソロルの日が残っている。
遅沢ソロルの物足りなさに、思わずチケットを買ってしまったのだ。
宮尾は技術では遅沢にかなわない。
それをどんなふうに克服して彼なりのソロルを演じるのか。
宮尾がどんなソロルを演じるか、それを確かめてみないことには、
熊川の踊らないKバレエの行く末を論じられないのではないかと思い始めた。
彼の踊りも、そして、客の入りも。
私のKバレエ詣ではもう少し続くことになる。
(荒井さんのニキヤと、キャシディのハイ・ブラーミンに関しては、
次回に書きます)
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Kバレエ「ラ・バヤデール」@オーチャードホール(2)ダンサー
- 熊川哲也とKバレエカンパニー
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