ミュージカルの名作「ジキル&ハイド」を生み出した
レスリー・ブリッカスとフランク・ワイルドボーンのコンビ。
この二人に、日本の「ジキハイ」が世界一とまで思わせた
鹿賀丈史をタイトル・ロールに迎え、
世界初演をこの日本の地にて、という力の入れようである。
ヨーロッパでは古典中の古典として名を馳せ、
さまざまな形で芸術文化の中にしみこんでいる
エドモン・ロスタンの戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」
であるが、
「白野」などの翻案ものがあるといっても、
正直なところ日本人、それも若い人には
大きな鼻がトレードマークの騎士、というくらいの認識が
関の山ではないだろうか。
大きな鼻のシラノに鹿賀丈史、
シラノの従妹にして絶世の美女ロクサーヌに朝海ひかる、
ロクサーヌが一目惚れし、
本人もまたロクサーヌに一目惚れの若い騎士・クリスチャンは浦井健治。
(クリスチャン役は彼と中河内雅貴のWキャスト)
この構図からは
「大きな鼻」→「笑い」→「喜劇」
「イケメン=若い」「シラノ=うらぶれた中年」
「そんなシラノの恋」→「イケメンに負ける」
みたいな先入観が生じる。
しかし、コトはそれほど単純ではない。
「イケメンはおバカ」なのに「美女はインテリがお好き」なのだ。
「手紙を書いて!」
「言葉で私をイカセテ!」
思いっきり左脳フル回転の美女・ロクサーヌに対し、
顔はいいしキスはうまいがコトバとなると、
「君を愛している」「すっごく愛してる」しか言えないクリスチャン。
ただ、クリスチャンは自分に詩の才能がないことをわきまえていた。
だから「バカだと思われたくない」一心で
シラノに代筆を頼むのである。
一方のシラノ。
彼はなぜ恋敵の代筆を買って出たのか?
シラノは知りたかった。
ロクサーヌの反応を。
自分の「純粋な」心の叫びを聞いた彼女の反応を。
つまり
隠すことのできない自分の「鼻」という容貌を抜きにした人格を
彼女がどう評価するか、を。
シラノは誇り高き武人として剣の名士であり、
かつ文学に長け、巧みに詩をあやつり弁も立つ。
ただ、鼻がでかい。
その「鼻」に出くわせば、みな「鼻」を意識せずにはいられない。
もちろん
彼の人となりを知り、友情を交わせば、
誰もシラノを「鼻」で判断したりなんかしないのだが。
でも一番気にしてるのは、本人。
「この鼻さえなければ」
もっとも強く、そう思っているのは、実はシラノ自身である。
「こんな鼻で愛の告白などしたら、笑いものになる」
自分には、美しいご婦人に愛を語る「権利」がない。
彼はそう思い込んでいる。
自分に自信がないのである。
自分の容貌を笑う者たちを憎み、軽蔑しながら、
実は自分がもっとも自分を差別している。
それが、
この物語の一番の悲劇であり、諸悪の根源なのだ。
そんなシラノにとって、
「クリスチャンの顔」というイケメンの仮面を得、
ロクサーヌに愛を告白する絶好のチャンスが到来した!
彼は今まで封印してきた彼女への思いを、ここぞとばかりに書き綴る。
あとからあとから、
コトバは泉のごとくあふれ出て、尽きることをしらない。
はじめは「手紙」だけだったが、
ついに月の出ていない夜、
ロミオとジュリエットよろしくバルコニーの下で
シラノはクリスチャンの代わりに甘い言葉を囁く。
そのコトバにうっとりしたロクサーヌの元へと
バルコニーをよじのぼり、彼女を抱きしめるのは、
しかしクリスチャンなのである。
バルコニーの下には、シラノ。
うなだれたシラノ。
せつなすぎる、シラノ。
達成感と、高揚と、あきらめと……。
ところが、
男たちが戦場に赴くことになり、事態は一変する。
激しい戦いの続く戦地から、
ロクサーヌに毎日届く手紙、手紙、手紙。
「クリスチャン、あなたが好き!」
思いがけず戦地まで駆けつけたロクサーヌが
「手紙の中の男」「手紙を届け続ける男」にこそ惚れている、
と知ったとき、
クリスチャンは「負けた」と思うのである。
恋する瞳でみつめられても、
その瞳が求めているのは自分ではなく、
自分の後ろにいるシラノである、と思い知る。
カゲにのっとられてしまった、クリスチャンの絶望。
ここでの浦井健治の演技には、気迫と説得力があった。
前出演作「回転木馬」で
ビリーという今までと違ったキャラクターに挑戦した浦井は、
着実に表現力をつけた。
演技部分だけでなく、歌もよい。
安定した音程と声量で、
舞台中央にいて恥ずかしくない役者へと成長した。
「歌」でいえば、
脇をかためた光枝明彦(ラグノー役)の声が飛び抜けて秀逸。
滑らかでたっぷりとして、その上表情豊かなその声は、
彼にシラノをやってもらいたい、とさえ思うほどである。
そう、私が観た5/21のマチネ、鹿賀丈史は絶不調だった。
非常に残念。
特に終盤は、おそらく本人も情けないくらいだったろう。
しゃくりあげるように音程をさぐるのは、彼の悪いときのクセだが、
そうやっても定点に届かず、メロディーラインが崩れてしまった。
いいときの鹿賀でもう一度見てみたいものだ。
朝海ひかるは、
「Calli」の時に比べて進化、
終盤のソロ「彼こそ奇跡」などは、特に聞き応えがあり、
正攻法の歌唱法を駆使して好感が持てた。
しかし、「歌ってます!」の緊張感がみなぎっており、
ソロではなくセリフの掛け合いのように歌うナンバーでは
音程がとれないことがいまだに多い。
宝塚・男役トップ時代の朝海には圧倒された私だが、
女優として新たな道を進み出してからは、
まだ朝海の魅力を全開させる仕事に出会っていないように感じる。
今回も、
ロクサーヌという役どころがぴったりだったかどうか。
幕が開いて最初に出てきた貴婦人(岡本茜)を見て、
目のぱっちりしたフランス人形のような容姿からも
正調ソプラノの、天から降ってきたような歌声からしても、
「これがロクサーヌかしらん?」と思ったのは、
私だけだったろうか。
「絶世の美女」にしてファム・ファタル、
男たちに無理難題を「おねだり」しても
「彼女なら許せちゃうし、ゆーこと聞いちゃいます!」とメロメロになる
そんな雰囲気を、今の彼女は持っている。
後半の「15年後」をどう演じるかはまた別の課題としても、
機会があれば、彼女がロクサーヌを演じるのを見てみたい。
ミュージカル「シラノ」は、東京・日生劇場にて5月28日まで。
その後、
大阪・梅田芸術劇場(6/3~6/7)、
広島厚生年金会館(6/10)と続く。
この舞台を見ながらいろいろ思うところがありました。
それについては、明日。
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「シラノ」
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