森繁さんがテヴィエをやっていたころは、
私は「なんでミュージカルに森繁さん?」って思っていて、
全然興味なかった。
日本のミュージカルっていえば劇団四季しかないって信じてたし。
初「屋根」は、西田テヴィエ。
子どもの通っていた公立小学校で
B席を1,000円で申し込める機会があったとき。
やっぱ「なんで西田敏行でテヴィエ?」とは思っていたけど。
家族四人で行っても4,000円。
これなら絶対ソンはないって思って。
市村テヴィエは今回が初めて。
場所も帝劇ではなく、日生劇場。
舞台が小さいので、大道具はいろいろ違うのは当たり前だろうけど、
演出もかなり変わっていて、ちょっと戸惑った。
結論から言うと、
私は前に見た西田テヴィエのバージョンのほうが、
好みである。
あのとき、帝劇の上の上の席から見た「屋根」から受けた感動。
それにもう一度会えると思ったんだけど、
…何かしら、違った。
もっとも違うのは「ヴァイオリン弾き」とテヴィエとの距離。
今回、ヴァイオリン弾きは、数えるほどしか出てこない。
それも、あっさりしているというか、出てくる意味がわかりにくい。
前はテヴィエの価値観や信仰心を揺るがせるような事態になると、
ヴァイオリン弾きが迫ってきて不協和音をたたみかける。
じゃあ、ヴァイオリン弾きは悪魔?と思うと、
テヴィエの寂寥を嗅ぎ付けてそっと寄りそい温かくヴァイオリンを奏でたりもする。
その押したり引いたりが
テヴィエの心の葛藤と民族の不安とを表して秀逸だったんだけど、
今回はそれがなかった。
「神様」との対話は増えたが、
市村テヴィエはけっこう神に文句をいう人で、
その「反抗心」のほうが目立っていることも、全体のトーンを変えているように思う。
絶対的に信仰心が篤いからこそ、チョビッと愚痴をいうのが人間らしい、
そこがテヴィエなんだと思うのだが。
ガチガチの信心者が、娘を一人、また一人、と「しきたり」から解放していく。
その寂しさ、脱力感を
たくましくて柔軟な妻・ゴールデが包み込む。
…そういう夫婦像だと思ったんだけど……。
ちがうんだよね、ゴールデも。
テヴィエより保守的。かなり俗物に描かれている。
私は以前のキャラクターのほうが好きだ。
特に、結婚式の場面。
男と女を分ける「綱」を飛び越えて客人たちからひんしゅくを買う娘をかばおうと、
自分も綱を飛び越え、敢えて「しきたり」を破ろうとする。
逡巡の表情を見せながら、
それこそ清水の舞台から飛び降りる、くらいの覚悟で
ある意味、「神」にもそむく覚悟で「男」の領域を侵し、男の手をとり踊るゴールデに、
ものすごく感動したのだった。
大体、
ここは舞台が小さいため、パフォーマンスのたびに綱が便宜的に片付けられる。
これでは、「綱」のある理由も、観客に伝わりにくい。
帝劇では舞台の真ん中にしつらえられた「綱」は厳然と式場を二分し、
絶対に動かされないものとして存在していた。
そうでなければ、「しきたり」の重みの象徴にはならない。
以前はゴールデが持っていた「賢明さ」を
今回は、テヴィエが背負っている。
正しいことも新しいことも、みなテヴィエが先駆者としてのみ込んでいく。
娘たちにせがまれて「しきたり」より家族を選ぶテヴィエは、
もちろん最初は反対するし、悩みもするけど、
かなり「ものわかりがよく」なった。
以前は、「父親」の壁は、もっともっと高かったように思える。
出演者たちも、小粒感が否めない。
娘たちも、一人ひとりに著しい個性が感じられず、誰もが同じような印象だ。
数々のミュージカルで主役を張っている笹本玲奈のホーデルでさえ、
それほど目立たなかったというのが驚きである。
シベリア送りになったパーチクを追ってアナテフカを出るべく、
汽車を待って駅に立つ場面は名シーンだが、
ホーデルにしてもテヴィエにしても、
田舎から東京の大学に行く、くらいのテンションしか受けなかった。
ここで笹本が歌った歌はうまかった。
でも、「うまい」と思わせるより、ホーデルの心情が前面に出てほしいところ。
かつて私が観た毬谷のホーデルは、絶対的な孤独感と不安を、
セリフもなしに、うなだれた頭と肩で表していた。
裏寒い風さえ感じたことを、思い出す。
初役の人々の中で健闘が目立ったのが、
大抜擢でチャバ役を射止めた平田愛咲(あずさ)。
この3月に東宝ミュージカルアカデミーを卒業したばかりである。
すべてを捨ててロシア青年と結婚する三女の役だ。
「ユダヤ」を捨てても愛を貫こうとするチャバは、
自分のしていることがどんなに父親を傷つけるかを知りながら、
そして自分も神を捨てる重罪におののきながら、
それでも一歩を踏み出さずにはいられないその覚悟とひたむきさが
声に表情によく表れていて、吸い込まれそうになった。
ひどく辛口で、ごめんなさい。
私は「比べる」のは好きだけど、
決して「前のほうがよかった」ではなく、どちらにもいいところがある、というふうに
見るほうなんですけど……。
そんなに思い入れの強い舞台とも思ってなかったんだけどな~。
知らないうちに、深く深く刻まれていたんですね。
「サンライズ・サンセット」が結婚式の場面で歌われるのを聴きながら、
なんて美しい歌声だろう、と背筋がツンとひきしまるほど
祈りにも似た敬虔さ、厳かさをたたえた静かな合唱に
胸が震えたあの衝撃……。
その再来を、きっと期待していたんだと思います。
今回、自分の中の「屋根」はありませんでした。
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「屋根の上のヴァイオリン弾き」@日生劇場
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