プッチーニのオペラになって、世界のスタンダードになった「蝶々夫人」。
その後映画にもなり、
またミュージカル『ミスサイゴン』は、
同ストーリーをベトナム戦争中のアメリカ兵とベトナム女性に置き換えて作られたもの。
「アジア」と「欧米」という文化の落差と
欧米から見たアジアのエキゾチシズムがふんだんに取り入れられた
「蝶々夫人」の系譜は、
日本人から見た時、胸の中に言うに言われない違和感が湧いてくるのを否めない。
青い目の混血児は、アメリカで生きた方が幸せ。
蝶々夫人は、そう思い、自ら身を引いて愛児を引き渡す。
そして、愛児と引き裂かれたその喪失感によって、自害する。
そうなのか?
そんなにアメリカがいいのか?
この疑問に応えるべく作られたのが、
市川森一脚本の朗読劇「蝶々さん-ある宣教師夫人の日記より」である。
この時に出演した島田歌穂などからミュージカル化の要望が出て、
今回、
音楽/島健(サザンの「TSUNAMI」、あゆの「VOYAGE」など)、
台本・作詞/忠の仁(「パジャマ・ゲーム」など)、
演出/荻田幸一(「ロマンチカ宝塚’04」など宝塚作品の数々、「アルジャーノンに花束を」など)
をスタッフに、
島田歌穂主演、戸井勝海・剣幸共演というデラックスなメンバーでの舞台が完成した。
16歳で天涯孤独となった武家の娘・蝶が、
いかに前向きに生き、いかに自分らしさを守るために若くして死んだかを
シンプルな舞台装置でありながら、長崎情緒豊かに丁寧に描いている。
非常に難しい楽曲を、島田、戸井、剣が安定した技量で歌い上げ、見事。
島田は前半抑え気味に「幼さ」「無垢さ」を大事に、
後半は「新しく生き直したい」「幸せになりたい」という思いを全面に出して気迫の演技。
戸井は朗々とした歌声で劇場を揺るがす。
また、宝塚の男役として一世を風靡した剣が、知的で心優しい宣教師夫人を好演、
懐の深い声質で女性ミュージカル俳優としての実力を見せつけた。
10人のアンサンブルもよく揃い、
ある時は日本的、ある時は賛美歌的なフレーズをしっかりと歌い分けている。
島田はいつもながらの艶のある歌い上げはもちろん、
丸山の芸妓であるという役回り上、踊りも歌も三味線もよくこなした。
書生役の山田匠馬、本妻役の小野妃香里には、いま一歩声の安定性がほしいところ。
この作品を見て、
ああ、蝶々さんは憤死したんだな、と合点がいった。
懸命に生きてきたのに、
最愛の夫にも裏切られ、信じてきた人たちにもバカにされたと思った時、
曲がったことが嫌いで、誇り高い人間の絶望が
「死んでやる!」に直結するのは、非常によくあるパターンである。
ただただ、悔しかった。
武家の娘が芸妓にまで身を落としても生きてきた、その緊張の糸が、切れたのだ。
たかだか20歳の女性には、
「あんたが死んで、子どもはどうするの?」まで考える余裕はなかっただろう。
私は今年の正月、長崎を訪れている。
舞台美術や音楽、そしてセリフの一つひとつに
長崎の風情が浮かび上がってきた。
「蝶々さん」は6月24日まで。
会場は足立区北千住のTHEATRE1010(シアターせんじゅ)。
全席701席という中堅の大きさで、どこからでもよく見える作りの劇場である。
北千住駅から直結というのも便利。
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「蝶々さん」
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