font style=”font-size:15px;”>10月、ある演劇ジャーナリストに
「これからオススメの一本は?」とたずねた。
すると、「AKURO」を挙げたので
とにかく見なければとチケットをさがしていたところ、
前の方の席が売りに出ていて運良くゲット。
非常に素晴らしい観劇となった(12月11日)。
「AKURO」は
謝珠栄率いるTSミュージカルファンデーションによる再演だ。
(私は初演は未見)
坂上田村麻呂、安倍高麿、アテルイ、といった名前でわかるとおり、
平安時代の初期、
朝廷が東北の「蝦夷(エミシ)」を平らげようとしていたころの話である。
ヤマトがエミシに何をしたのか、
都から派遣された安倍高麿(坂元健児)をリトマス紙にして、
ヤマトの大義名分に隠された、ダーティな部分を暴露していく。
ヤマトの大義名分を信じ、
ヤマトを愛し、
ヤマトとエミシの融和を心から願う安倍高麿。
その安倍高麿が、次々と「真実」を知らされていく過程を追う。
このミュージカルのすごいところは、
なんと言っても歌のクォリティの高さである。
主役・高麿の坂元健児の伸びのある声が全体を引っ張れば、
坂上田村麻呂役の今拓哉は、オペラ歌手的な歌声でオーラを放ち、
坂上田村麻呂の貴族性とカリスマ性を見せ付ける。
なんと言う存在感!
高麿にまとわりつくトリックスターのような存在だった吉野圭吾は、
序盤多少押さえ気味だったが
その正体が明らかになっていく後半はエネルギー全開、
すさまじい気迫で舞台を席巻した。
歌だけでない。
アクロバティックなダンスパフォーマンスが
これまた切れまくっていて
よくもこんな狭い舞台で正確な殺陣を連続して演じられると
感服。
池袋の東京芸術劇場の中ホールでやるには惜しい。
もっと大きなステージで、思い切り暴れさせてやりたい。
男ばかりの出演者の中、
紅一点は神田沙也加。
ヤマトの伝説の中の「鈴鹿御前」と
エミシの悲劇の女性「アケシ」という
一人の女の二面性をきちんと表現し、好演。
あまりに大きすぎる母親・松田聖子と同じ「歌」を生業としつつも、
母親の七光りではない自分のフィールドを、
彼女は築きつつある。
これからをさらに期待したい。
謝は、この「AKURO」を通して
「相手を知らない」ことが恐れや蔑みを産むことに警鐘を鳴らしている。
一方的な情報に踊らされること、
相手の立場を思いやらないこと。
二度と繰り返してはならないことを、人間は何度も繰り返しているのはなぜか。
エミシであれ、西洋人であれ、
知らないものを「鬼」と呼ぶ風土への一矢である。
それは、
「日本で生まれ、日本に住み、育ち、そして日本を愛しても日本人にはなれない私」
(初演のプログラムより)という
謝自身の思いと重なるものがあるからこそ切実である。
物語の終盤近く、
高麿は死を予感しつつ、「今度は蝦夷に生まれてくる」という。
アケシの兄で蝦夷の指導者の一人、オタケ(平沢智)は、
「俺は大和に生まれる」という。
「俺が大和なら、蝦夷にこんなことはさせない」
男達の魂の叫びが聞こえる舞台である。
みんな、かっこよすぎる!
強くて、やさしくて、まっすぐな男達の
汗と涙と叫び声がほとばしる、一夜でありました。
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「AKURO」
- ミュージカル・オペラ
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