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「Nineザ・ミュージカル」ル・テアトル銀座vsTMA試演会

12月10日昼、東京・京橋のル・テアトル銀座に「Nineザミュージカル」を観に行った。
貴城けい、新妻聖子、シルビア・グラブ、樹里咲穂、
入絵加奈子、浦嶋りんこ、今陽子、寿ひずる、紫吹淳。
こんな豪華な9人の女性陣が、
松岡充扮する映画監督グイードをめぐる女たちとなって展開するお話。
もとはフェデリコ・フェリーニ監督の映画「81/2」だ。
今回は「COCO」を演出し、最近ミュージカルづいているG2が
上演台本を書き、そのために翻訳も自前でやって演出している。
「少人数でのミュージカルをやりたかった」というところから、
この「Nine」に行き着いたようだが、
その試みは、十分に成功していないように思う。
なんといっても「Nine」は曲が難しい。
音域が広い、音とりが難しい、というだけでなく、
あるときは聖歌のように、あるときはオペラのように、
あるときはキャバレーショウのように、と歌い方を変えていかなければならない。
きっちり「違う」トーンにしないと、
その場面で作者が作りたかった雰囲気が出ないのだ。
天使の声で合唱すれば、そこに聖堂の空気が満ち溢れ、
逆にビブラートを思いっきりきかせて歌えば、そこはイタリアのオペラ劇場。
「フォリ・ベルジェール」では
パリのシャンソニエの煙草の煙や、フレンチ・カンカンの喧騒をほうふつとさせなければ。
一貫性のないごちゃまぜだけど、一つひとつは精巧、
というのが「Nineザミュージカル」の見所。
そこが構築できていなかった。
出演者は上の10人だけで、
9人の女性たちは、ソロだけでなくアンサンブルもこなす。
それぞれ主役を張れる人たちなので、
この「アンサンブルを兼任」というのは、初めての人も多かったとか。
一人ひとりは実力者であっても、
主役を張れるのはその人ならではのオーラがあるということで、
自分の色を消してアンサンブルの一音に徹するのには無理があったのではないか。
数曲は見事なものもあったけれど、
和声が濁る場面が非常に多く、耳障りだった。
グイードも、
一人ひとりの女性に対する態度を極端なほど変えないと、
彼の多面性が出ない。
そこを引き立てるために、同じ節を違う女性に向かって歌う構成になっている。
また、
あまたの女性をひきつける、匂い立つほどのフェロモンが、松岡には感じられない。
もっと大胆で、もっとわがままで、もっと存在感があってほしい。
そんな「オレ様」系グイードだから、
女たちに言い訳するところがこっけいなのだし、
実は少年時代にトラウマがあり、
神様にアタマを押さえつけられてアイデンティティを失っている、
というグイードの苦悩、
信仰と肉欲、精神性と本能のはざまで人として悩むグイードとのギャップが鮮やかなのだ。
松岡は難曲をきっちり歌うことにアタマがいって、
肝心の心情が歌に表れるまでに至っていなかった。
かつて別所哲也がグイードを演じたという。
今の別所で観てみたい。「オペラ・ド・マランドロ」の濃さならいいかも。
歌のうまさと濃さとのバランスでは
錦織健あたりをグイードに持ってきても面白いかも。
とにかく、正統派の歌い方ができ、さらに色気のある声が出る人じゃないと、
グイードは務まらないと思った。
女性陣のソロも、
音域が自分にあっていないのか、
それとも音域幅が大きすぎるのか、
感激するほどの素晴らしい歌にはなかなか出会えず。
ただ、前半よりは後半の完成度が高く、
特に、
カルラ(シルビア)の「Simple」、
ルイザ(新妻)の「Be on your own」はよかった。
こんなに歌える人なのに、もったいないなー、という感じである。
出番の少ない(しかし重要な役の)カルラが、
この「Simple」を歌い出す前から涙目になっていて、
歌いながら泣いていたのは衝撃。
シルビア・グラブ、役作りのために裏の楽屋でどんな物語を生き、
どれほどテンションをあげてステージに上がったのだろう。プロだ。
新妻は歌には感情がこもり、説得力があったものの、
演技やストレートなセリフのやりとりが単調で、
愛人だらけの夫の妻であり夫を支える同志でもあるという複雑さが
あまり伝わってこなかった。
あと、
グイードの少年時代を子役にやらせているのはいかがなものか。
少年時代(9歳)に止まってしまった時計の針を再び動かして、
少年グイードも今のグイードも自由になる、という
重要な役回りである。
舞台全体を左右するような歌もたくさん歌う。
この舞台に先行して観たTMAの試演会(11/19)では、
小柄な女性(武蔵優美)を少年役として配し、
彼女の歌声が穢れのないボーイソプラノチックで抜群だったことが
非常に功を奏していた。
天才的に歌がうまければ別だけれど、
「子どもの歌」といっても、それは「子どもの姿をした神」とも言えるし、
まずは歌唱力で決めてほしかった。
同じく少年時代に出会い、グイードの「女神」として一生を支配する
浜辺の商売女サラギーナが浦嶋りんこというのは、
女性である私としてもかなりナットクがいかない。
失礼だけど、
まず9歳の男の子が「きれいなオネエサン…」って思う人じゃないと…。
グイード少年、別に娼婦だからサラギーナに近寄ったわけじゃなくて、
修道院にはない美しくあでやかな花に、吸い寄せられてしまったのよ。
それに浦嶋サラギーナは、単に少年にちょっかい出す娼婦っていう感じで、
「あんた、こんなところに来ちゃいけないよ」っていう
自分の置かれた立場に対する誇りと諦めがミックスされたような複雑さがなかった。
この役も、TMA試演会で演じた菅原奈月が好演。
挑発的な瞳と口元で年端もいかぬグイード少年を手玉にとりながらも、
ふと弟をいつくしむような素の表情を見せたり、
損得勘定のない語らいを心から楽しんだりしている
「娼婦マリア」と「聖母マリア」をしっかり内包していた。
なんといっても「ジプシー女」としてのエキゾチックな魅力をふりまき、
少年グイードの脳裏に何十年も消しがたく焼きついたイコンとして
十分な美しさと神々しさを体現していた。
TMAの試演会のすべてがよかったわけではない。
私の観たグイードは、歌唱力がイマイチ(というかイマ3)だったし、
ルイザの歌も魅力に欠けた。
しかし、
物語としての「Nine」、舞台としての「Nine」は、
非常に見ごたえのあるものだった。
それだけのものにしたのは、
やはり東宝ミュージカルの底力だと私は思う。
上にも書いたが、
教会音楽とオペラとキャバレーの歌いわけを、
アンサンブルはきっちりやっていた。
(TMAのアンサンブルの素養はすごい)
これは歌唱指導が非常に厳しかったと聞く。
アンサンブルに限らず「歌い分け」を意識した場面作りは
ほとんど大道具のない平らなスタジオにあっても、
観客に教会や、海や運河やキャバレーを感じさせた。
必要最小限の大道具の使い方やはけ方、持ち込み方もスピーディーで
そのあたりも東宝の劇場ノウハウが積み重なっている。
音楽はピアノだけだけれど、
そのピアノがまた素晴らしい。
演じているのはまだひよっ子かもしれないが、
それを支える東宝の技術は、ミュージカルを知り尽くしていて、
彼らは真剣にそれに到達できるよう努力している。
ミュージカルの真髄に触れながら日々成長できるTMAの生徒たちは、
本当に幸せだと感じた。
*TMA試演会「Nine」は11/19夜、11/20昼、夜と3班に分けて行われ、
 11/20の2班は未見。全部見たいところである。

人生の意味、人間の存在の意味を描いたこの作品は、フェリーニ映画の最高傑作という評価を得、…

8 1 / 2 – 愛蔵版 【DVD】
「Nine」は来年、映画も封切られる。
女性陣がペネロペ・クルス、ニコール・キッドマン、
マリオン・コティヤール、ソフィア・リローレンなど、やはり豪華なキャストで
今から話題沸騰である。

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