本日、3/22は、
東宝ミュージカルアカデミー(TMA)の卒業式です。
それに先立ち、3/20・3/21と、彼らの卒業公演が
東京・北千住のシアター1010(せんじゅ)で行われました。
演目は「レ・ミゼラブル」。
この作品が「主人公は群衆」つまり全員が主人公、という群像劇であること、
若い学生たちを中心とした革命を扱ったところが、
これから社会の荒波に挑もうとする卒業生たちに重ねあわされるところから
毎年必ずこの作品をやるとのことです。
生徒たちとはいえ、
本場・東宝の「レミゼ」ですから。
演出から裏方から、手抜きなしです。
観劇は無料ですが、ハガキで応募する形。
とはいえ、客席の半分以上は関係者の席なので、
当たる確率はとても低い!
昨年(3期生の卒業公演)は世田谷パブリックシアターで、
私のハガキはあえなく撃沈いたしました。
今年も私の名前のハガキはハズレ。
でも「当たったら一緒に行こう」と言っていた友達のハガキが見事当たり、
3/21に行ってまいりました!
私は4期の試演会をこれまで4回見ていて、
その感想はこのブログでも毎回お伝えしていたのですが、
最後は抽選ということで、はずれたらおしまい。
お芝居の終盤、
「よく当たったな~。よく見られたな~」と感慨無量でした。
というのも、
非常にレベルの高い舞台に仕上がっていて、
これまでの彼ら彼女らとは見違えるような部分がたくさんあったからです。
卒業公演を見ないまま、
今までの試演会の印象だけで彼ら彼女らを語っていたら
大変な思い違いになるところだった、と
若い才能はたった一日、たった一夜でも、大きく飛躍するのだと思い知りました。
「役」が彼らを成長させたのです。
特に、男性陣の輝きようといったら、めざましいものがありました。
テナルディエの塩坪和馬は、伸びのある声と演技力で、実力を思うまま発揮。
ただ彼はこれまでも主要な役柄をまかされていて、
その実力はわかっていたのでこの活躍ぶりは織り込み済みでした。
私が驚いたのは、
ジャベール役の横山達夫、
マリウス役の斉藤航騎
アンジョルラス役の松谷光です。
横山は音大を卒業してからTMAに入っているので、
「歌はうまい」とは言われていましたが、
いかにも優等生的で、これまでは演技臭に欠けていました。
ジャベールはそれほど動きのある役ではありませんが、
主役のバルジャンとからむ重要な役で、
その上バルジャンだけはプロの上条恒がやるため、
ジャベールに上条さんとわたりあえるだけの迫力がなければお芝居になりません。
ほかの登場人物がほぼ若いままであるのに対し、
ジャベールは壮年から老年まで彼の人生を演じるわけですし、
動きの少ないなか、顔の表情や声によって
ジャベールの冷徹さと、それを裏付ける正義感と法への殉教的信奉、
そしてだからこそやってくる最後の迷いを
24歳で表現するのは本当に難しいはず。
それを、
彼はやってのけたと思います。
「回り盆」も「せり」もない舞台で、あの渦巻きの中に吸い込まれるラスト。
一体どうするの~??
…と思っていましたが、「落ち方」もきちっと演技して、迫力を感じました。
アンジョルラスの松谷光も
失礼ながら、これまでの彼の歌を私はまったく買ってなかったので、
「え~?彼がアンジョなの?」と
パンフレット見たときにちょっとがっかりしてしまいました。
しかし、
長身の松谷が胸元はだけた開襟シャツに赤いベストを着て
バリケードの上に立つと、
鼻筋の通った彫りの深いはいかにも勇者でほんとアンジョに見えたし、
人々を鼓舞する彼の歌声もまっすぐに通って、とてもよかった。
回り舞台がないので、
死体を一つひとつ検分するジャベールが一つの死体をくるっと仰向けにすると、
それがアンジョだった、とスポットが当たる演出は、
さすが東宝さん、と思いました。
非常に余韻のあるアンジョの最期でしたね。
でも私がもっとも感動したのは、マリウスです。
小柄な斉藤は、たしかに今までも演技力はあると思いましたが、
どこか「演技演技」していて
あざとさ(あるいは拙さのためにそうみえる)が感じられることがありました。
ところが昨日は、「マリウスとして存在する」自然体の斉藤がいたのです。
コゼットを思うマリウス、
エポニーヌを抱きしめるマリウス、
失った仲間を思いうなだれるマリウス、
単なる夢見る学生だったマリウスが、
さまざまな困難に出会いながら心のひだを深く刻んでいくさまが見えました。
自然に見えるといっても、それは演技、特に「声の演技」の賜物です。
幸福も、絶望も、歌によってそれが感じられた点を、私は高く評価したい。
カフェソングは、
この前「それぞれのコンサート」で鹿賀丈史が歌ったものより、
一人生き残ってしまったマリウスの悔恨と虚脱が詰まっていて
本当によかったです。
バルジャンのいまわの際にコゼットを連れていき、
「彼は聖者だ!」と自分を助けてくれたいきさつをコゼットに語るところでは
私は涙が止まりませんでした。
私は帝劇で、ここで泣いたことなんてありません。
ただの付け足しみたいに思っていた場面でこんなに感動するなんて……。
女性陣もがんばっていました。
私がイチ押しの岡井結花は、テナルディエのマダムで気を吐き、
塩坪・岡井のテナ夫妻は大人の演技で舞台に奥行きを与えていました。
歌だけでなく、こまごまとしたマイムも含め、表情豊かで、
コメディもシリアスも突き抜けて演じられる彼女は、
きっとストレートプレイでも大きく羽ばたけるでしょう。
望月博世ははかなさよりも社会への恨みが勝ったファンテーヌ。
死の床の演技と、終盤のバルジャンの昇天時の存在感はよかった。
「死ぬ演技」「死体の演技」「死んでからの演技」は、
本当に全員よかった。
ものすごく指導されたということで、
その成果は十分にありましたね。
エポニーヌは、序盤少し空回りしたものの、
マリウスのためにコゼットとの橋渡しをするあたりから本領発揮、
腕の中で死ぬところは切なくて涙が出ました。
男性・女性ともに配役の妙を感じます。
生徒一人ひとりの良さを見抜き、引き出す指導陣の力量ですね。
「歌」が響いたという点では、21日女性の白眉はコゼットの青山郁代でしょう。
コゼットらしい、コロコロと鈴が鳴るような歌声が美しい。
島田歌穂出現のために、エポニーヌのほうがいい役に見えますが、
実はコゼットこそ作品の大きな軸。
バルジャンに愛されながらも、
自分の生い立ちの真実は隠され、誰とも親交を結べぬまま孤独な逃避行の毎日。
そんなコゼットが初めてバルジャンに隠れて恋をする。
彼女の魂の震え、鳥かごから羽ばたきたい欲求が感じられるコゼットでした。
彼女は卒業を前に出演作が決まっているということです。
がんばってほしいです。
4期は男性生徒が極端に少ないので女性が男性役を任される部分が多く、
もしかしたら、自分のキーに合った役がもらえなかった人もいるでしょう。
革命兵士の役でなく、女性らしい恰好で卒業公演に出してあげたかった人が
何人もいます。
でも4期生はハーモニーが本当にきれいで、
アンサンブルはこのメンバーで公演ができるんじゃないかと思うくらいです。
だけど。
このメンバーが集まって一つの舞台をやるのは、これきりなんですね。
みな散り散りになり、
お互いライバルとなってオーディションを受けまくる日々が
これから始まります。
この中で、5年、10年したときに、舞台に立っている人は
いったい何人いるのでしょうか。
厳しい世界です。
早咲きの人、遅咲きの人、いるでしょう。
それぞれが、自分らしさを見つけ、認められ、
最良の場所で花咲く日がやってくることを、心から祈ります。
卒業、おめでとうございました!
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TMA4期生卒業公演「レ・ミゼラブル」@シアター1010
- ミュージカル・オペラ
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