プレビュー公演を見て来ました!
疾走する馬、馬、馬、
その馬と一体になって動く人間。
命ほとばしる1時間半。
あっという間でした。
幸運にも一列目の席。
時々、土が飛んできますが、
絶対オススメ!
ごめんなさい、今日はここまで。
明日、書き足します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
では、ここから書き足し部分。
「ジンガロ」って、何でしょう?
馬を使ったスペクタクル、
サーカスの、馬の曲乗りみたいなもの、
いやいや、それとはまったく違う、
「ジンガロ」は「ジンガロ」なんだ・・・とか、
見たことない人に想像させるには、説得力のない紹介が多いです。
「ジンガロ」というのは、ある馬の名前でした。
スペイン語で「放浪の民」という意味だそうですが、
この一団の主宰者である、バルタバスという男の愛馬の名前です。
そしてバルタバスは1984年、
この愛馬ジンガロと自分との魂の交流を核とした、
騎馬集団によるパフォーマンスを立ち上げます。
フランスの馬術の伝統と粋を伝えるヴェルサイユの馬術アカデミーで
みっちりと「馬」という生き物との生活を人生にとりこんだ人々によって、
主宰者バルタバスが真っ白いカンバスに描く心象風景が、
その筆のしなりを、勢いを、穂先のほつれを、
色使いを、絵の具の厚みを、下地との濁りを、
馬という自分の分身を使って表現されるのです。
円形のこぢんまりした馬場を、
数十頭の馬たちは何回も、何回も、疾走します。
手入れしぬかれた毛並みの良さ、断ちそろえられた産毛との境目が、
それだけでアート。
いななくこともせず、鼻を鳴らすこともなく、
修行僧のように、哲学者のように、天使のように、ただただ疾走する馬。
その上で、
人々は思いつく、ありとあらゆるパフォーマンスを行います。
確かに、動かしているのは人、走っているのは馬ですが、
見ようによっては魂は馬にあり、
動かされているのは、人間のほうにも感じます。
馬は決して、「芸」はしないのですから。
そんな誇り高き馬と何年も会話を続け、
以心伝心の関係を築き上げ、
自分の喜びを彼の喜びとし、
彼の感性を自分も敏感に察知しつつ、
同じ時間をともに楽しみ、戯れ、遊ぶ。
それが「ジンガロ」なのです。
1999年、愛馬ジンガロが死んだとき、
バルタバスは最後となったNY公演のパフォーマンスを
次のパリ公演の会場に映像として流し、
それをパフォーマンスとしたそうです。
集団「ジンガロ」は、その後も新作を作りますが、
1頭の馬が、いろいろな演目をやることはありません。
その馬にとっては、1つのパフォーマンスが一期一会なのだそうです。
単に鞭をふるわれ動くのではなく、
音楽に誘われ、
相棒である人間の、
指先の動きや背に乗った足の裏の体重のかかり具合に反応し、
まるで人生に一つだけあるミッションを完遂するように、
馬は華やかな会場を後にして、ふるさとに戻ってゆくのです。
そう。
やらされているのではなく、
やっているのです。
すべてのパフォーマンスが終わったとき、
馬たちは馬場中央の滝のシャワーで水浴びをします。
走って走って、ほてった体を癒やすように。
馬たちは何も言いませんが、
充足感、充実感が、静かに流れます。
たしかに、
「ジンガロ」は「ジンガロ」なのかもしれない。
コトバで説明しても通じない。
写真で写してもわからない。
ただそこに行って、馬が跳ね上げる土くれを感じつつ、
かつて馬と暮らしていた時代の息吹が
体の芯から湧き上がってくるのを感じるのみ。
ああ、生きるってすばらしい。
ああ、生き物ってすばらしい。
そう感じられる時間を、共有する。それが、ジンガロ。
本日1月24日から3月26日まで、東京の木場公園内ジンガロ特設シアターにて。
あればSS席より安いギャロップシート(1列~3列)をお求めください。
この臨場感にまさるものはない。
明日は、今回ひっさげてきた新作「バトゥータ」について書きます。
- 舞台
- 34 view
「ジンガロ」
- その他のパフォーマンス
- コメント: 0
この記事へのコメントはありません。