涙、涙の第一部、怒りと憎しみ爆発の第二部に対し、
第三部は一転、喜劇の匂いがします。
それは、ヘレネとメネラウスが出てくるから。
大体、ヘレネという絶世の美女(それも人妻!)をトロイアの王子パリスが、
外交折衝の場で奪ってしまうという愚行から、
ギリシアとトロイアの長い長い戦争が始まります。
(もちろん、それはきっかけにすぎないけれど)
こんな壮大な茶番を描いたのが「イリアス」なわけですから、
「笑っちゃう」のが筋なのかもしれません。
茶番の代償で命を失う男たち、あるいは長年の夫の不在に苦しむ女たちの人生の悲劇。
先人たちはそれらをつぶさにみつめ、何千年後の今も語り継がれているのです。
悲劇から喜劇へのトーンの激変が、これほどスムーズにいったのは、
なんといってもメネラウス役・吉田鋼太郎の力です。
彼の悲喜劇的なおかしさ、必死で訴えれば訴えるほど可笑しみが増す持ち味は、
「タイタス・アンドロニカス」でも発揮されています。
この「グリークス」第三部には、
エウリピデス原作の「オレステス」をベースにしている章がありますが、
他にアイスキュロスもソフォクレスも「オレステス」を書いています。
3作は、少しずつ内容が違います。
この3人の中でも、エウリピデスは非常に劇的な場面作りをする作家です。
藤原竜也主演の「オレステス」(やはり蜷川演出)も、エウリピデス版。
きっと多くの人がエウリピデス版をドラマチックに思うでしょう。
でも、結末の正当性という意味では、アイスキュロスの作のほうが納得できます。
筋にも無理がありません。
「オレステス」のテーマは、仇討ちと親殺しの矛盾です。
エレクトラ・オレステスの姉妹は、共謀して母を殺します。
親殺しです。
しかし、二人にも言い分はある。
「母は父を裏切り、不倫相手とともに父を殺した。これは父の敵討ちだ」。
つまり、仇討ちなのです。
アテネの町は、二人の罪を裁きます。
その裁かれ方、罪の考え方において、私はアイスキュロス版が一番理解できまるのです。
情に流されず、父親思いとしては、母親思いとしては、と、様々な観点から殺人を検証していて、
3人の中では最も古い時代の人ながら、かえって現代的に思えました。
少し読みにくいかもしれませんが、3作とも短いので、機会があったら読み比べてみてください。
*2006年7月11日のMixi日記をもとに、加筆しました。
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