今日、NHKのBSハイビジョンで「コリオレイナス」を放送していた。
非常に有能だが、傲慢な戦士コリオレイナス。
彼は執政官になるため、民衆に認められなければならない。
「謙虚」な男だと民衆に受け入れられるため、ボロをまとって挨拶するという儀式。
戦いで受けた傷も、ここでは単なる「好奇心の対象」「見せ物」にすぎない。
必要な手続きとわかっていても、彼にとっては非常に屈辱的な経験だった。
「有能な自分」「誇り高い自分」が、「愚民」に頭を下げて何になる?
ちゃんとした政治をやればいい。
「愚民」のいうままご機嫌とっていたら、かえって社会は悪い方にいく。
四の五の言わずに私の才能を信じろ! 実績を評価しろ!
この舞台が彩の国さいたま芸術劇場で上演されてから、3ヶ月ほどしかたっていない。
それなのに、今日、私はまったく違った感想を持った。
その原因は東京都知事選挙である。
石原慎太郎氏の選挙参謀を務めていた佐々淳行氏は、石原氏の当選確実を聞いて、
以下のようにインタビューに答えている。
「確かに彼は傲慢なところがありました。
しかし、もっと謙虚になるように、という私の助言を受け入れてくれて、
彼は選挙戦を闘った」
私は東京都民ではないので、彼の選挙運動の様子を直接には見聞きしていないが、
ニュースで流れた選挙演説中の石原氏の顔に、やわらかな微笑が漂うのを見たことがある。
それは、都知事の定例会見などで時に見せる高圧的な表情とはまったく異なるものだった。
コリオレイナスの母(白石加代子)は言う。
「戦争の時、計略は大切でしょう。
本当の自分を隠して行動しても、それが勝利につながれば評価される。
平時も同じ。勝つためには、本心など言わなくてもいい。
とにかく、権力を持つこと。それが先決」と。
本心を隠しているのは、他の政治家たちも同様である。
コリオレイナスを嫌う護民官たちは、民衆を扇動し、彼を追放しようとする。
真実はどこにある?
民衆は、真実を見ているのか?
2週間の選挙運動期間で、私たちは投票行動を決める。
誰が微笑みかけてくれたか。
誰が握手をしてくれたか。
誰が耳に心地よいことを言ってくれたか。
そういうことで決める人もいるだろう。
「もっと実績をみてくれ」
「今までやってきたことを評価してくれ」
「できもしないことを約束したり、おべっかつかったりするヤツを選ぶのか?」
コリオレイナスの叫びは、まっとうに聞こえる。
でも。
にこやかに握手をした後に垣間見えた不遜な横顔に、
民衆はコリオレイナスの本心を嗅ぎつける。
結局、コリオレイナスは自分の信条を曲げることができず、民衆の反感を買って
執政官として認められなかったばかりかローマからも追放されてしまう。
彼は愚かだろうか?
もっとうまくやればよかったのだろうか。
この戯曲が私たちにつきつけているものはあまりに深い。
主人公たちのセリフだけでなく、
民衆の言葉にも、耳を傾けたい。
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