イギリスに留学していたころの夏目漱石、
まだ漱石になる前の、夏目金之助を描いたこの作品。
とにかく、浅野和之を見るだけでも価値がある。
1人で11役をこなす。
単なる「早変わり」の趣向ではない。
役の一つひとつに意味があり、
1人の人物が11役やること自体に、大きな意味を持たせている。
そこが三谷幸喜のニクイところだ。
浅野、どの役もはまっているし、
それぞれのコントラストがまたふるってはいるけれど、
終盤に出てくるジャックの奥深さは、
まさにイギリス流のセンス・オブ・ヒューモアの権化ともいえよう。
タイトル・ロールともいえるペッジ=アニーを演ずる深津絵里は、
さすが深津、の可愛らしさと哀しさを余すところなく表現。
この二人に大泉洋が絶妙の間でからんで、鉄壁のトライアングルを保つ。
大泉洋、いい。
金之助と同様イギリスに暮らす日本人ソータロー。
なんという軽妙さ、そして、毒。
三谷幸喜にいわせると、彼の頭の中では
「ジャック・レモンー西田敏行ー西村雅彦」のライン上にいる、とか。
終盤ちょっと疲れるけれど、
これからの舞台が本当に楽しみになってきた。
このトライアングルの横棒をかいくぐるように
ひょこひょこと味を出すのが
金之助役の野村萬斎と、
アニーの兄貴役の浦井健治である。
この二人、三谷作品をやるには、ちょっと大時代なところがある。
それはそれで、悪くはないが、肩に力、入りすぎていて
見ているこちらがちょっと疲れる感あり。
というか、トライアングルの3人が自然体で洒脱そのもの。
「国民の映画」では
これ以上ない!というほど緻密なウェルメイド・ドラマを書き込んだ三谷。
今度もけっこうシリアスで行こうとしていたらしいが、
「震災」を経験し、
「こんなときこそお客さんに笑いを」と思って、つくりを変えた、という。
だから「つくり」だけ見ると、ちょっと粗いようにも思う。
(「国民の映画」が緻密すぎただけだけど)
でも、そんな弱点をポン、と飛び越えてしまうのが、
演劇人の浅野の怪演であったりするわけだ。
「間」を心得る演劇人たちによって、この舞台は成り立っている。
現在、離婚を公表してまもない三谷。
彼のそんな近況をふと垣間見るようなセリフもある。
劇も生き物、
劇作家も生き物。
「今」を抜かして演劇は語れない。
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