最近の、彼の海外の実在人物を描いた作品には
「絆~コンフィダント」と「国民の映画」があり、
今回の「ホロヴィッツとの対話」はそのシリーズ第三弾、
という位置にあるらしい。
何をやってもプラチナチケットの三谷作品、
この3作のうち、劇場で観られたのは「国民の映画」だけ。
「絆~コンフィダント」もWOWOWで観劇しました。
今回も、WOWOWで放映してくれる、それも「劇場から生放送」とのことで、
ありがたく拝見させていただきました。
「絆~コンフィダント」で涙を流し、
「国民の映画」で震撼とした私ですが、
「ホロヴィッツとの対話」は、正直言って退屈だった。
第一に、音楽が悪すぎる。
ホロヴィッツ役の段田さんがピアノを弾くとは誰も思っていないのは、
「そんなんで『ホロヴィッツでござい』っていうようなことは間違ってもやらないだろう」
という、三谷さんへの信頼感なのに、
どうしてバックミュージックがあんなにぞんざいなピアノ曲にしちゃったのか。
荻野清子さんには悪いけど、ピアノの上手下手だけじゃなくて、曲があまりに単調すぎる。
そういえば、「コンフィダント~絆」のときも、あんなふうだったけれど、
その繰り返される曲想が、ちゃんとお芝居の中で活かされていて、
あのピアノがあったから私はラスト、堀内さんに泣かされたと思ってる。
それに比べると、今回のピアノ演奏は「意味がない」と断言できる。
あんなんだったら、そして「ピアノ」にこだわるんだったら、
ホロヴィッツの演奏とかを流したほうがよかったんじゃないか。
「欲望という名の電車」で小曾根さんが弾いて見せた
ぞくぞくするほどレベルの高い曲に比べ、あまりにチープでした。
「ホロヴィッツ」というタイトルがある以上、そこはリスペクトしろって思いたい。
その意味でも、
フランツがわざわざ買い集めたラフマニノフのレコードを
ホロヴィッツが「これも、これも持ってる」といって床の上でぞんざいに扱うシーン、
ものすごく違和感があった。
日本人じゃない、靴の文化の西洋人が、床にレコード置くこと自体、「?」なのに、
自分が第二の父とも恩師ともあがめるラフマニノフのレコードを
あんなふうには絶対に扱わないよ。
ほかにもいろいろあるけれど、
やっぱり「竜馬」といえば幕末好きの人が食いつくように、
「ホロヴィッツ」といわれたら音楽好きな人が興味を持つのは必至だから、
そういうところには気を配ってほしかった。
また、
偏屈天才ピアニストとその調律師だったら、やはり黒衣の調律師には屈折というか、
「葛藤」があるんじゃないか、と観客は予想して劇場に赴くと思うんだけれど、
そこが見事にはずされた。
渡辺謙演じるフランツは、「天才ホロヴィッツ」の前には従順過ぎて、
「オレの仕事を認めろ!」的な鬱屈した感情が全然見えなかった。
それっぽいセリフもなくはなかったけど。
そこがもうちょっとはっきりしていれば、
そういう夫の気持ちを思いやる妻エリザベス(和久井映美)が
ホロヴィッツ夫妻の態度に切れまくるのもむべなるかな、と思えるのだろうけれど、
どこまでも「気の好い夫」「ヒステリーな妻」みたいになってしまって
正直、エリザベスには
「たった一晩なんだからもっと大人になれ」っていいたくなったくらい(笑)。
唯一、ほんとに凄い!と思ったのが、高泉淳子の演技。
見事な人物造形!
声の出し方から顔つきから姿かたちから、西洋の上流社会によくいるおばあちゃん。
人をけなしているようで、とても愛情深い一面がのぞいたり、
彼女の一挙一動、一部始終が一級品だった。
あの、「山田のぼる」少年で一世を風靡した人だよね。
段田さんの「老けっぷり」もすごかったけれど、
お年寄りを、幼児扱いするのって私は好きじゃないので、
「この人は5歳と同じ」「いや8歳と言ってくれ」みたいな
確信犯的脚本が、これまた好きになれなかった。
妻のいない隙におみやげのチョコをつまみ食いしちゃうとか、
知ってることを知らんといったりとか、
そういう老人はいくらでもいるけれど、
それを「子どものよう」に演じるのはいかがなものか。
それは「老人だからこそのいたずら心」であって、
決して子ども還りではないと私は思っている。
と、辛口の上に辛口のレビューだが、
でも多くの人が、この舞台を「素晴らしかった」と言っている。
だからそうなんだと思う。
まあ、ひとことで言って、
この作品は非常に二―ル・サイモン的な匂いがしたということなのかもしれない。
私、ダメなんだよね、二―ル・サイモン。
どんなに人が「素晴らしい」と行っても、どこか居心地が悪いです。
あしからず。
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