ブロンズ新社から出ている劇作家協会編集の「優秀新人戯曲賞」。
1999年版には5作品が収録されていますが、
その中で私がもっともすきなのが、これ。
「マクベスの妻と呼ばれた女」です。
シェイクスピアの「マクベス」を、
マクベスの家にいる9人の女性たちが語り手となってまわしていく物語。
その9人の名前は
デズデモーナ
オフィーリア
ヘカティ
ケイト
クイックリー
ポーシャ
ロザライン
シーリア
ジュリエット
シェイクスピアのほかの作品の登場人物の名を使っているだけでなく、
その登場人物の人生を、うまくアレンジして役をふくらませています。
もちろん、マクベスに出てくる「3人の魔女」の代わりでもあります。
とはいえ、
名作の力に依存した単純な切り貼りではなく、
非常に意味深い、「等身大の現代の女性の物語」に仕上げられている。
そこに心から感服します。
原作にある重苦しい雰囲気はなく、
スピーディーな展開、サスペンス的な要素、
そして常に「笑い」を意識した楽しい空間づくりで、
本当にムダのないすっきりとした戯曲に仕上がっています。
極めつけは、タイトル。
タイトルに、作者のいわんとするすべてがこめられ、
それが舞台上でもはっきりとした形で序盤に現れて、
その後の展開を楽しみにさせる形となっているのです。
いわゆる悪女、悪妻の一つの典型として世に残るマクベス夫人ですが、
この作品では逆に絵に描いたような良妻賢母、賢婦人として描かれていて、
マクベスの家来たち(=男)や取り巻きから尊敬されている。
そのマクベス夫人に対して、
女中頭のヘカティが尋ねます。
ヘカティ「マクベス夫人。あなたのお名前は何とおっしゃるのですか?」
マクベス夫人「わたくしの名前?」
ヘカティ「そう」
マクベス「名前―」
何度も「名前」を迫られた挙句に、夫人は
「武人の妻に、何で名前がいりましょう。名を成すのは殿方のお役目」
から始まる、良妻賢母的教科書的な長台詞を吐き、退場します。
すると、後に残されたヘカティおよび女中たちが、叫ぶのです。
「マクベス夫人には、名前がない」
そう。これは
「○○の妻でございます」「△△の母でございます」
と言って生きてきた
私たち日本女性の歴史に関わる、オソロシイ話なのです。
「自分」とは何か、
主体的に生きるとは何か、
自分で自分の人生を決めながら生きることの大切さと大変さを、
それができないのはなぜなのかを、
とてもわかりやすい視点から説き起こした名作です。
女中たちがじゃがいもをむきながらする世間話は、
子どもたちを公園で遊ばせながら話すママ友のグチさながら。
シェイクスピアを知っていれば倍楽しいけれど、
知らなくてもまったく大丈夫なこの作品を書いたのは、
篠原久美子さん。
1985年から横浜市のアマチュア劇団・蒼生樹の活動に参加し
役者・脚本・舞台照明などを経験、
1992年には公務員を退職して舞台スタッフグループ・タケスタジオに入社、
それから7年、という経歴の持ち主でした。
「アタマの中で書きました」ではなく、舞台というものを知っている、
そういう戯曲だな、と感じました。
読んでいるだけで、舞台のようすが浮かんできます。
女中たちの掛け合い、台詞の分散、反復が見事です。
…なーんて、エラそうなこと書きましたが、
1999年当時は新人さん扱いだった彼女、今や劇作家協会の理事さんですから。
やっぱり才能のある人っていうのは、最初からスゴイわけですね。
これを本当の舞台で見てみたいな~、と思いました。
「見てみたい」と思う戯曲、ほかにもあったんで、また紹介しますね。
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