「モリー先生」といえば、
ALS(筋萎縮性側策硬化症)という難病にかかりながら、
人生について深い話をしてくれる老先生の話、
それも実話、ということで、
映画になったり舞台になったり、テレビでもやっていたりする。
その話を、朗読と歌で綴ろう、という試みだ。
(2008年一日だけ上演した舞台を、少し改訂したもの)
2/25と2/26、有楽町朝日ホールで行われた。
今回の出演者はモリー先生に光枝明彦、
モリー先生の教え子でスポーツライターのミッチに今拓哉、
ミッチの妻で歌手のジャニーンに土居裕子。
そうです。
光枝、今、土居。この3人が歌うのです!
すごいメンバーなのに、
「朗読音楽劇」っていう地味なカンムリが、
難病ものだったり、死期の近づいた老先生からの教えというお堅くみえる内容と相まって、
さらに近寄りがたいというか、エンタメとは対極、みたいにみえて、
チケット買わなかった人、多いんじゃないかな~。
ステージの上にはピアノとバイオリン。
静かに奏でられる生の演奏にのせて、
3人が朗々と歌います。
光枝さんも今さんも、声量といい歌い上げ方といい、素晴らしいですが、
なんといっても土居さんでしょう。
プロの歌手として、甘い愛の歌を歌うときの艶っぽさ、
モリー先生が逝ってしまうときに歌った歌は、
最初の一音からレクイエムとしての色を帯びていた。
そうかと思えば、寓話を語るときの、やさしくて明るい朗読。
土居さんの実力に、圧倒された1時間半でした。
この3人の歌手に共通しているのは、「品」です。
歌声に伸びがあり、あと口が爽やか。
正攻法の歌をしっかり学んだ人が獲得できる、
豊かな声量とそれをコントロールするテクニック。
そこに、「品」が生まれるのだと思います。
いつ死んでもいいように、
自分の気持ちに正直に、本当にやりたいことをやって生きよう、
人生、お金よりも家族だよ、生きがいだよ、というのがテーマなので、
ときどきハナにつくこともあります。
でも、
誰でも一つくらい、もって帰れるいい話があります。
今日の私にとっては
「手放す」というのがそれでした。
「受け入れる」というのはよくありますが、
どんな辛いことでも「受け入れ、味わい、そして手放す」
手放すことで、自分が解放される、というくだりは
とても新鮮でした。
何でもかんでも受け入れよう、とは思いませんが、
にっちもさっちもいかなくなったとき、
「手放す」という選択肢を持っているかいないかで、
へたな袋小路に迷い込まずにすみそうな気がしました。
それから、
「やりたいこととやらなければならないこととの引っ張り合い」
人生はいつもこれの連続だけど、
じゃあ、どっちに決まるの?
「すべては、愛だよ」
愛があるほうに決まる。
シンプルだけど、なるほどな、と思いました。
「必要なほうが」とか「優先順位」とか
言い方はさまざまだけど、それってつまり「愛」なんだな、と。
舞台装置らしきものはなく、
季節の色をデザインした映像の背景と、
椅子が4脚くらいしかないけれど、
立派な演劇です。「朗読劇」などと、イメージの限定されるカンムリは
いらなかったような気がします。
・・・・・・・・・・
ただ。
「昏睡状態になってからは、家族の人がつきっきりだった」とか
「お墓はなだらかな丘の上にありました」とか
ミッチは仕事を休んで1200kmも離れた先生の家に何度も通った、とか
そういう話を聞きながら、
「じゃあ、仕事はどうしたの?」
「じゃあ、お金はどうしたの?」と、
その裏で行われる現実的なことばかり考えてしまった。
人生はお金じゃ買えないけれど、
病気になったときにお金がなかったら、自宅で介護なんか絶対無理。
モリー先生は昔は貧しかったようだけど、
今は裕福なのね。
ミッチもワーカホリックだけど、お金だけはあるのよね。
そんなことを考えてしまった私は、
ほんとにバチあたりであります。
モリー先生との火曜日普及版
モリー先生との火曜日
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