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「凡骨タウン」@東京芸術劇場小ホール1

久々に、押しつぶされるような、
わさわさした胸騒ぎのまま緊張感が持続する、
現代の闇に真っ向勝負しつつウェルメイドな舞台を観ました。
キーワードは
「お前が俺だったら、やっぱりそうする」
「俺ならそんなことしない、なんていうことは言わない。
 誰でもお前のように生まれ、育てば、お前のように、 
 俺のように生まれ、育てば、俺のように、行動する」
だから、すべては決まっていて、
変わることはできない。しょうがないんだよ、という早乙女(千葉哲也)。
その早乙女にからめとられた人生から抜けようとする、
ケン(萩原聖人)の絶望的で孤独な魂の闘いを描く。
少年時代からのあまりに悲惨な家庭環境。
そのなかで生きるためにさまざまな「鎧」を武器にする過程。
保護されるべき時代に丸裸な少年は、
みな暖かい食事とカネを与えてくれる、笑顔の仮面の人物に狙われる…。
「もしあのとき、早乙女に出会わなければ」
「変わりたい」と願うケンはしかし、
「変わる」ことで自分を慕っていた仲間を失う。
「お前のすべてを奪うよ」早乙女は静かにつぶやく。
仲間だけでなく、仲間を思う「気持ち」までも奪われていく、ケン。
不気味に大きくたちはだかる「大人」の早乙女を演じる千葉哲也がうまい。
彼が完璧に「早乙女」を演じているとすれば、
対する萩原は、キリキリするほどの「ケン」の人生を生き抜いている。
かつて「ビストロSMAP」にゲスト出演したアラン・ドロンが
「俳優にはacterタイプとcomedianタイプがいる。
 役になりきり、役の人生を生きるのがacter、
 完璧に役を演じるのがcomdian」と言っていた。
彼の言葉を借りれば、
千葉はcomedian、萩原はacter。
すべてを奪われホームレス生活をするケンを演じる萩原は、
舞台が進行するにつれ、どんどんやつれていく。
最初から、たしかに「顔色が悪い」感じではあったけれど、
目は落ち窪み、頬はこけ、
「最初からこんなだったっけ?」と訝しく感じるくらいだ。
また、
すきっ腹でうな重をかきこむシーンでは、
後ろ姿が見えるだけなのに、小刻みに震えるその背中が雄弁にケンの真情を語った。
暴れ、叫び、体も心も常にテンションの高い舞台である。
しかし、俳優たちの声は澄んで揺るがず、
蓬莱竜太の哲学的な、あるいは文学的なセリフをはっきりと観客に伝える。
その声の迫力に、
この劇団の、あるいは客演者の実力を思い知る。
「迫真」とは、こういう演技をいうのかも知れない。
鍛えられた肉体と、
対象の心のいたみにしっかりと入っていく覚悟がなくては、
うわついた、ただのドタバタになり下がる危険と隣りあわせだ。
簡素にそぎ落とされた舞台装置の中で、
鈍く銀色に光る鉄パイプ一本の存在感。
本当に重い鉄パイプ1本が振り回され、振り下ろされ、壁に床にぶち当たり、
彼らの「痛み」を一層リアルに映し出す。
透き通った演技で闇の物語に複雑な反射光を与えるキヌ子役の
緒川たまきも好演。
「イノセント」とは、キヌ子のことだと思った。
「仲間」のうち、最後までケンに寄り添うナー役・津村知与支も
なぜそこまでケンを慕うのか、その真情がしっかり伝わる。
つらい物語だが、
かすかな希望が感じられるように思えるのが救いだ。
そして、
ケンが聞いた「生活の音」が最後にわかる幕切れを迎えたとき、
観客もその「生活」と切り離されて2時間を生きたと気づく。
それほど、一気にのめりこみ、引き込まれる舞台だった。

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