三島由紀夫の「金閣寺」は、その描写力の緻密さ美しさにおいて、
これに並ぶものはないと思うくらいずば抜けた作品です。
それを宮本亜門が、どのように劇化するのか??
初演、ニューヨーク公演に続き、凱旋公演でやっと観ることができました。
いやー、まいった。
「鳳凰」(=金閣)の擬人化がすべてだね。
このコンセプト1つで、この舞台は成功。
照明も素晴らしかった。
ダンスの亜門さんらしく、
この小難しい「言葉」と「哲学」のお話に、ちゃんと「動き」をつけた。
「動き」はつけたけど、「言葉」をオモチャにはしなかった。
このコントラストのバランス。
それは、三島の世界をきちんと形にしようというリスペクトの証拠。
言葉、といえば。
「金閣寺」のパンフレットは、本当に素晴らしいです。
中身が濃い。
役者やスタッフの1人1人の思いが、ものすごく深いところで語られている。
率直に語られていて、
この舞台を作る人たちの思いを通して、
舞台とは何ぞや、三島とは、金閣寺とは何ぞや、を知ることさえできる。
装丁も写真も美しく、内容も盛りだくさんで、2000円は安い!
「金閣寺」を何度も読んで、「写経」までしている私にとっては、
この文学のハイライトをよくもここまで全部入れられたなって思うけど、
一度も読んでいない人にとっては、
おそらく、あの場面もこの場面も、
「絶対原作にはないだろうな」って思うんじゃないかしら。
そのくらい唐突に起こる、あの事件、この事件。
でも、
そのすべてを、「金閣寺」という小説は最初から持っている。
そのすごさを、
たくさんの若い人に伝えただけでも、
この舞台はものすごく評価されていいと思う。
高岡君の柏木に力あり。
大東君の鶴川に素直さあり。
森田君の溝口に、優しさあり。
この「優しさ」というのが、小説のイメージと少し違う。
小説の溝口が持っているどす黒いものは、別の人間のナレーションで補っている。
だから、違和感がない。
うまい、と思った。
ラストの「生きよう」が一番難しいと思う、
とパンフレットに森田君の言葉が書いてあった。
そのラストの森田君の表情が、素晴らしかった。
若い人が、たくさんたくさん考えて、感じて、到達した表情だった。
この表情のために、「優しい」溝口がいたんだな、と思った。
そして、
とにかく「鳳凰」。
山川冬樹の声、そして肉体、そして表情。
彼の存在感が、すべてを制していた。
まさに、主役は「金閣」だったわけである。
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