清水邦夫作、蜷川幸雄演出。初演は1982年である。
蜷川が商業演劇に「転向」したことに端を発した
櫻社・現代人劇場の解体から10年、
再び蜷川と清水が組んだ記念碑的作品が、
「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」である。
北陸の地方都市に実際存在した少女歌劇団がモデルの
石楠花歌劇団の
トップの娘役・風吹景子=フウコ(三田和代)が
往年の相手役・男役トップの弥生俊(鳳蘭)との再会を
精神の混濁をきたしながら30年間待ち続ける話。
そのフウコの夢の世界を右往左往しながら支えるのが
新村(古谷一行)など「バラ戦士の会」の面々だ。
30年前は若者だった彼らも、今は熟年から老境にさしかかり、
その一人・北村は最近死亡。
息子(横田栄司)が代わりに手助けしている。
バラ戦士たちは、弥生俊の居所を探すかたわら、
フウコの相手をして「ロミオとジュリエット」のけいこに励む。
そしてある夏の日、
かつて舞台として使われた百貨店の大階段に
歌劇団のメンバーが一人、また一人と集まってきた。
そして。
幻の男役・弥生俊も
妹と名乗る女性(真琴つばさ)に付き添われて姿を現す。
俊には、この30年の間に人生を揺るがす出来事があった。
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フウコとシュンの再会に、
清水自身と蜷川との再会への情熱と葛藤が織り込まれた作品なのだが、
そんなことはどうでもかまわなくなる。
「私を13歳の少女だと信じさせてほしいの!」
「私は、生きている!」と高らかに叫ぶフウコを
毅然とそしてかわいらしく演じる三田と
盲目でも大階段のことは隅から隅まで知り尽くす「幻の男役トップ」を
等身大に演じる鳳の二人のエネルギーが
舞台のすべてをかっさらっていくのだ。
とりわけ、鳳蘭である。
圧倒的に、鳳蘭。
特に、
墓所に横たわるジュリエットを目の前に
毒をあおるまでのロミオとしての演技は、
かつて見たどんなロミオより悲しみ深く、感情の襞が多彩。
ジュリエットの亡骸に「あなたはまだ美しい」と語りかける
鳳の震える唇には
心からの愛情と苦悩とがないまぜになって観客の心を揺さぶらずにはいられない。
一つひとつのセリフを
かみ締めるようにしぼり出す表現の確かさに舌を巻く。
見事なロミオ。
男役としてとか、元宝塚とか、往年のスターとか、
そんなものをすべて排してただ一人のロミオを演ずる俳優として、
鳳蘭は最高の実力者だ。
そして。
カーテンコールで全員が一列に並ぶとき、
鳳はその中央にあって満面の笑みで背筋を伸ばし、
二階席の客を意識してあごを上げ、
手のひらを上にして両手を少し前に。
次に左手を胸にあて、ゆっくりと深くおじぎ。
トップのおじぎである。
大きな羽根が背中に見えるようだった。
隣りの真琴つばさだってステキだけど、
その真琴がまったく目立たなくなってしまうくらい、
とてつもないオーラを
鳳蘭は発していた。
北村(横田栄司)の弟役で出ていたウェンツ瑛二が好演。
発声もよくセリフにもよどみがない。
女装も似合っていた。(女装に慣れない、という役作りもちゃんとしていたし)
私はウェンツの演技力には昔から注目していたので、うれしい。
蜷川の舞台では「ガラスの仮面」で一時桜小路役と言われていたが
実現しなかった。
あのときの桜小路役・川久保拓司もよかったが、ウェンツの今後も期待したい。
それにしても、宝塚OGは実力がある。
毬谷友子の歌には驚いた。ものすごい音域の幅。
真琴つばさも声に潤いがあり、たしかな演技で舞台をひっぱる。
ただ、発声が「常に」男役。
今回は「俊に見間違えられる」という設定もあってこれでもかまわないが、
それでも「見間違え」られるといっても
彼女自身は歌劇団にいたわけでもないしましては男役でもない。
もう少し「女性」が出てもよかったかと思う。
その点、
鳳蘭が、立ち姿はどこから見ても男役なのに、
ロミオを演じれば完璧な「男役」で通常は女性に戻る、
その行き来が見事であった。
そんなところにも二人の年季の違いが見えた。
「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」は
東京・渋谷Bunkamuraのシアターコクーンにて5月30日(日)まで。
鳳蘭のタキシード姿を大階段に見るだけで、この舞台は価値がある。
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