老夫婦の、ひと夏の別荘生活を描いた作品「黄昏」。
作者のアーネスト・トンプソンはこれが処女作で、
なんとわずか27歳で書き上げたというから驚きだ。
物忘れが顕著になった79才の頑固じじぃの心のうちを、
たった27歳の若造が、どうしてこんなにふくよかな言葉で表せるのか。
老いがしのびよることへの不安。
自分の体力への過信、そうかと思えば自信喪失、その繰り返し。
誰かに必要とされたい思い。
自分のそばに長年連れ添った人がいる安心感。
行き過ぎたコトバのやりとりも、この2人の間を行き交う限りは「ユーモア」なこと。
など、など。
私もこの歳になって、ようやく彼の言葉にいちいちうなずいてしまうほど
感情移入できるようになったけれど、
若いときにこの芝居を観たら、退屈で意味不明でダメだったかもしれない。
「老境」については脱帽としかいいようがないこの戯曲、
老父ノーマンを演じた津嘉山正種が抜群の存在感と軽妙な味を出していた。
13歳の男の子・ビリーを演じた薄衣峻平が好演。
一方、
老いた父親と、彼を「ノーマン」と名前で呼ぶ娘チェルシーとの微妙な距離は、
きちんと描けていただろうか。
戯曲を読んでみると、チェルシーは若いころ太っていて不器用で、
今もすっきりしたとはいえ固太りな感じ。
かつて飛び込みの選手であり、釣りなどアウトドア好きな父親に、
「いい息子」たれと仕込まれ続けた運動オンチの女の子の悲哀は、
芝居の中ではなかなか感じられなかった。
それにしては那須佐代子は美しくスマートで活発すぎて
子どもの頃の「劣等感」が単なる自意識過剰にさえ感じてしまったから。
だとしても。
戯曲セミナーで習ったM先生が「完璧」といい、
S先生のいう「出はけ」の理由付けにムリ・ムダがなく、
A先生が戯曲の翻訳をしていて、
同じ別荘の室内だけを使った2幕5場でバランスがよく、
最初と最後も呼応していてT先生流にいえば「よい戯曲は形もよい」わけで、
やっぱりこの作品は相当すごい作品なんだな~、と改めて思い知るのだった。
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