知り合いの知り合いが劇団を立ち上げるということで、
旗揚げ公演に行ってまいりました。
プロトシアターは、東京・高田馬場から落合のほうにかなり歩いたところにある、
小さな小さなスペース。
照明とかちゃんとあるけど、座席は仮説。
客席じゃなくて、舞台と同じ平面で、70名ほどが観劇しました。
演目は「五月雨式~夜桜は散りたがった」
作・演出は高原フヒト氏。
「注」に「源氏物語が題材の妄想物語」。
「オレはモテタイ!」と叫ぶちょっと太めの若者が、
光源氏となって「モテル」男を生きる話
……だと思うんですが、
源氏物語の世界をなぞり出してからは
マザコン源氏と彼を支える乳兄弟・惟光の献身、
そして源氏の正室・弘毅殿の女御の苦悩、
人の怨念や嫉妬という負のエネルギーを糧として暗躍する霊的存在の登場、
その悪魔的存在の双子星的に、負のエネルギーを吸い取り浄化する桜の大木、と
「モテナイ男のモテ人生体験」はどこへ行った?の展開。
モテない男のいいところも、
モテる男の苦悩も、
どちらも描かれてなかった。
「ドラマというのは、主人公の心情が物語りの始めと終わりで変化すること」という。
キライだった男を好きになる、
人生に絶望していたのが前向きになる、
主婦だったのがキャリアウーマンとして歩み出す、
会社人間だったのが地域に生きる、
貧乏人が金持ちになる、
出ると負けの弱小チームが優勝する、などなんでもいいから。
そういう目でこの舞台を考えると、
モテ源氏から戻ってきたら、モテるようになったという変化も、
もうモテなくてもいいやっていう変化もなくて、
最後に桜の木に向かって
「存在するだけでいいんだよ」って長台詞ありますが、
大木さんに説教するほど、キミは人生悟ったか?っていう
落としどころに見えにくいエンディングとなりました。
「変化」という意味では、
弘毅殿の女御がしっかり描かれていた。
「あなたは身分も上だし男の子さえ生めば、一番愛される」という
母の言葉を胸に誇り高く生きながら、
桐壺とか藤壺とか、ライバルに「最愛」の座を奪われる。
本当は帝が好きなのに、素直になれず、お高くとまっている。
それが、
「呪子」と出会うことによって自分の心の闇と向き合い、
最後は「桜」とともに「闇」と決別することを自ら決意する。
演技面でも、弘毅殿の女御役の竹島由華が抜群の存在感。
ちゃんと「高貴な女性」を体現しつつ、体の中にある葛藤を爆発させて
その二面性が非常に共感できた。
弘毅殿の女御の心の隙間に滑り込み、彼女の代わりに「しかえし」をする
「呪子(のろこ)」役の田老優雅もよかった。
悪魔でありながら、やはりとり憑いた対象に好かれたいと思う、
その「人間らしさ」とでもいおうか、その感情がうまく出ていて、
ラストに向かって女御と呪子とが一体化していく段には
スピード感さえ生まれていた。
呪子と呪代(こちらは六条御息所に憑く)は人形劇の人形を持って演ずるのだが、
そのアイデアも素晴らしかった。
この二人の話にしたら、きっといい舞台になったと思う。
源氏物語じゃ話が遠すぎる、と思ってしまったか、
ムリヤリなタイムスリップから始まるこの話、
「現代」は全部削ったほうがすっきりするのでは?
2時間休憩なしで体育館座り、とか、あまりないです。
お客さんのことも少し考えましょう。
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