話題の舞台「ムサシ」を、彩の国さいたま芸術劇場で観た。
井上ひろし作、蜷川幸雄演出。
宮本武蔵が藤原竜也、
佐々木小次郎は、小栗旬である。
小栗旬と藤原竜也は、6年前、すでに同じ舞台に立っている。
蜷川幸雄演出の「ハムレット」(2003)。
タイトルロールが藤原、
小栗はフォーティンブラス役だ。
フォーティンブラスとは戯曲の終盤、
デンマーク王子ハムレットが最後の最後、
叔父であり義父であるデンマーク王・クローディアスが死に、
自分も毒刃に命を落とす寸前に、
「彼にデンマークという国を託す」と宣言するノルウェーの王子のこと。
劇中、ハムレット以下登場人物の台詞の中に名前はのぼるものの、
実際に舞台に登場するのは、最後の最後のそのまた最後。
ハムレットが死んだ後である。
小栗は、舞台が終わる直前に出てきて、
機関銃を撃ちまくりながら、長い台詞を絶叫する。
すでにタレントとして名は通っていたが、
滑舌も悪く、物腰も荒く、
大音量と点滅する照明に存在自体がかき消されてしまい
何の印象も与えずに終わった。
至上最高のハムレットと言っても過言ではない出来だった藤原との
演劇人としての力量の差は、歴然。
比べることさえ、無意味だった。
その小栗が今回、
充実した舞台を披露している。
素晴らしい佐々木小次郎だ。
あのフォーティンブラスから今日までに乗り越えてきた
多くのハードルに思いを馳せれば、
彼の努力と精神力と、芝居への情熱には脱帽するほかはない。
見事な開花である。
前(1月28日)にも書いたが、
「ムサシ」の制作発表のとき、藤原と小栗は、
武蔵と小次郎よろしくライバルとしての火花をちらしていた。
藤原に負けまいとするそのライバル心は、
「時に空回り」(吉田鋼太郎言:パンフレットより)するものの、
着実に小栗の実力向上にプラスにはたらいた。
私が見たのは3月19日で、初日(3月4日)からすでに二週間経っていたが、
まず声がつぶれていないことに驚く。
前主演作「カリギュラ」のときとはまったく違う、よく通る滑らかな声。
「黙れ!」と武蔵にどなりつける大声も響けば、
「そうか…」とつぶやく囁き声もちゃんと聞こえる。
台詞の緩急、喜劇性と緊迫性を見事に演じ分け、観客を引き込む。
また、所作の美しさ。
パンフレットには「摺り足」は一から習ったというが、
そうとはまったく思わせない体重移動。
重心を低く、背骨をまっすぐ立てたまま
あるときはゆっくりにじり寄り、あるときはすばやく動く。
武蔵をにらむ表情もいい。
6年の間の屈辱と恨みと鍛錬の日々が集約されている。
母恋の、すべての緊張が解けた顔もいい。
立身出世にすべてを賭けながらも、
体の奥におしこめた幼な子の孤独と寂寥がにじみ出る。
もちろん、
小栗の挑戦を受けて立った藤原も、さすがの演技だ。
「狂乱」「絶叫」こそ彼の十八番と思われているが、
彼の喜劇的センスはなかなかのもので、
間合いの心得方は天下一品。
おのれはクスとも笑わずに観客を笑わせるその才能は、
もっと評価されていいと思う。
ともに1982年生まれ、今年27歳になるこの二人。
武蔵29歳、小次郎23歳で迎えた巌流島の決闘や
その6年後を描いた井上作品「ムサシ」は、
演劇の道で先を行く藤原への敵愾心とリベンジを胸に
「ハムレット」から6年目の小栗の果たし状と重なって、
私の胸を熱くした。
美しい若者二人が肩を並べて迎えるフィナーレ。
真のライバルだけが抱き合う互いへの敬意がそれぞれの瞳にみなぎり、
別れ際に小次郎がつぶやく最後の台詞の色が、
心に染み入る。
今だから、今しかできない、二人の舞台である。
次に共演するときは、
まったく異なった化学反応が見られることだろう。
そのときまで、
平成のムサシとコジロウは、どんな修行を積んでいくのか。
楽しみである。
*二人の「対決」を支える脇が、またいい。
とりわけ吉田鋼太郎は抜群。人物造形の確かさとともに、能の謡と舞に力がある。
「能は初めて」挑戦した(パンフレットより)というから、これも驚きだ。
中越司の美術(特に大きな太陽/月、竹林に迷い入ると寺にたどり着く手法)も秀逸。
*井上作品は「音楽劇」の形をとることが多いが、
今回は、歌はなし(よかった・笑)。
宮川彬良の音楽は、蜷川作品おなじみの宇崎音楽に慣れていると多少俗っぽくも感じるが、
時に大河ドラマのようで臨場感あふれ、耳なじみがよい。和楽器の使い方が効果的。
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