蜷川幸雄のすごいところは「自己模倣をしない」こと。
「ハムレット」を違うキャストでやる時に、前の舞台のコンセプトをすべて捨て去ったのだ。
市村正親、篠原涼子という大スターを配しながら、
彩の国さいたま芸術劇場の小ホールでやるという冒険!
チケットとれた私は、本当にラッキーでした(2001)。
狭い舞台の三方を席が囲むという形。
真田ハムレットの時に組んだような、舞台装置といえるものは何もありません。
舞台を囲むように垂れ下がるいくつかの有刺鉄線が、ライトに光るだけです。
一番の見所は、「尼寺へ行け!」のところでしょう。
オフィーリアは、なぜ急にこんなふうに罵倒されなきゃいけないのか、
私はこの舞台を観るまで、まったく理解できないでいました。
「かつてお前を愛していた」「だがその言葉を信じてはいけなかったのだ」の後に続くセリフとしての
「尼寺へ行け」には、
「お前だけはこんな汚い政争の道具にならないでくれ。
今のまま、清らかなオフィーリアでいてくれ。
そのためには、世を捨て、尼寺にこもり、俗世の毒牙から守ってもらいなさい」という
祈りにも似たぎりぎりの願いが感じられました。
オフィーリアを引き倒し、胸ぐらをつかんで必死に訴えるハムレット。
誰が盗み見ているかわからない中、狂人の仮面を脱ぐことが許されぬ身で、
暴力的な言葉で狂気を装いながら、愛する女を守ろうとするのです。
そこには無垢で幼すぎるオフィーリアを、父親が娘を思うような愛情で、
守ろうとしていたようにも見えました。
母妃ガートルードとのやりとりも圧巻。
「女」になってしまった母親への憎しみと、あまりある愛情。
「何をしているのですか?」「おとうさまは怒っていらっしゃいますよ」
という母妃のセリフを憎々しげにオウム返しにして、
母への非難として呟くハムレット。
もちろん「おとうさま」は、義父であるクローディアスから亡き実父の意味にすりかわる。
そのくぐもった声、次第にたまっていく愛憎が、
強い波動となって、観客の胸に響く。
この「オウム返し」のセリフ、他ではなかったなあ。見事です。
夏木マリとのくんずほぐれつの格闘は、親子というより恋人のようにも見えました。
オフィーリアに対しては父のように、
ガートルードには恋人のように。
既に50を過ぎていた市村ならではのハムレット。
でも、若さがなかったってことじゃないの。
終盤、レアティーズとのフェンシングなど、文句なく若々しい立ち回りでした。
舞台が進むほどに、若返っていく感じ。
余談ですが。
オフィーリアの篠原涼子とは、ほんとに結婚しちゃったね。
彼女のオフィーリアはイマイチだったけど、
(発狂して歌を歌うところは、よかった)
これが転機だったのか、それから女優としては飛躍しました。
とくに「天保十二年のシェイクスピア」では、
居並ぶ名優の中でも光っていました。
この舞台はDVD彩の国シェイクスピア・シリーズ NINAGAWA×W.SHAKESPEARE DVD-BOXII / 市村正親に収録されています。
*2006年5月26日のMixi日記をもとに、加筆しました。
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