私が蜷川幸雄の演劇を初めて見たのは、「ハムレット」でした(1995のものをNHKの衛星放送で)。
主演・真田広之、オフィーリアは松たか子。
戯曲を読んだのは中学生の時でしたが、よくわからなかった。
演劇を見たことないのに「戯曲」を読んでしまったから、
戯曲の向こう側に広がる空間を想像することができなかったのです。
私は、真田ハムレットを見て、初めて二つのことを理解しました。
1.ハムレットのセリフは「狂人のふりをしている」時のものと、
本心を独白もしくは傍白している時のものが混在している。
2.戯曲を読むと、そのセリフを言っている人のことしか頭に浮かばないけど、
セリフを言わなくても存在する人物が同じ舞台に立っている。
この時蜷川が作った舞台は二階建てになっていて、
隣の部屋で盗み聞きする人物とか、全体がよくわかったのです。
そうしたセリフを言わない人たちのリアクションが、実は劇を動かしている。
だから、ひとつもセリフを変えなくても、まったく違う物語にできるということを、実感しました。
真田ハムレットの見どころは、父を殺したクローディアスへの復讐心の強さでしょう。
クローディアスが独りで祈っているところに、ハムレットがでくわし、
千載一遇のチャンス! と後ろから刺そうとするんだけど、
「祈っているところを殺したら、天国に送ることになる。それじゃ復讐にならない」
といって剣をおさめます。
ここは、キリスト教徒でない私には、わかりにくいところでしたが、
けっこう大事な伏線があります。
ハムレットの父親は、武人としてたくさんの人を殺しているので、
死ぬ前に懺悔をしたかったのに、急に殺されちゃって懺悔できなかった、
だから地獄に落ちて亡霊になって成仏できない、という背景があるのです。
とはいえ、殺人を先延ばしにする「言い訳」にも思えます。
そう見えないところが、真田ハムレットの激情。
ほんとに、ほんとに、復讐したい気持ちが表れていました。
むき出しの憎悪。心の傷から流れ出る血にまみれ、もがき苦しむ姿が、切ない。
真田ハムレットは、本当にお父さんを尊敬し、愛していたんだと思います。
この劇は98年に再演されています。(母妃ガートルードは三田和代から加賀まり子に替わりました)
ロンドンでも上演されました。
*2006年5月24日のMixi日記をもとに、加筆しました。
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