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蜷川幸雄@100年インタビュー

NHKのハイビジョンで、
今夜20:00~21:30という長丁場の
蜷川幸雄に対するインタビューがありました。
(インタビュアーは渡邊あゆみアナウンサー)
申し訳ないけど、
蜷川に対するインタビューとしては、物足りなさが残った。
編集でそうなったのか、
それともインタビューのテーマがそうなのか、
「蜷川幸雄の人生総まとめ」的な、総論に終始し、
シャイな蜷川が、なんとか自分を語ろうとしたが、
うまく語れなかったっていう、
とっても消化不良な番組になってしまった。
彼はちゃんと言っている。
「演出しているときだけ、自分を解放できる」と。
演劇を語らせればエンジンはかかるが、
自分を語らせちゃいけない。
演劇というフィルターを通して見えてくる彼こそが、
ニナガワユキオという人間なんだ。
だから、
1時間半も語っていたにもかかわらず、
私がもっとも震撼としたのは、
タイトルの出る前に映し出された
「コースト・オブ・ユートピア」の稽古映像。
阿部寛のゲルツェンと池内博之のベレンスキーが討論する場面だ。
「考えが…」と池内がセリフを言うと、
蜷川の檄が飛ぶ。
「馬鹿野郎、『カンガエガ』じゃない、『考えが』だ!」
「考えが…」
「馬鹿野郎、そうじゃない、『考えが』だ!」
「考えが…」
「ちがう、『カンガエガ』じゃ演歌じゃないか、『考えが』だ!」
どう違うんだ?って首ひねるくらいの違いである。
しかし、
大きな違いなのだ、きっと。
考えるに、
ベレンスキーが「考えがある」と言ったとき、
ベレンスキーの頭には、その「考え」が浮かんでなければならない。
その「考えていること」の実存性が、
池内の「カンガエ」にはなかったかもしれない。
この繰り返しの中で俳優たちは鍛えられ、
10時間という恐ろしい長さの中で、
私たち観客をまったく飽きさせないだけの説得力ある演技をした。
本当にすごいことだ。
「観念の言葉」が、その「考え」がどんなものかを知らなくても、
私たちに具体的な質量を持って迫ってきたのだから。
あの一場面を見ただけでも、トクしたかな。
そう思うことにしました。

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