ここのところ、フジで「大奥」の再放送をやっています。
今、大河ドラマで「篤姫」では宮崎あおいがやっている篤姫を菅野美穂がやり、
同じく大河では堺雅人がやっている将軍家定役は、北村一輝です。
堺雅人の「うつけを装う公方様」もかなりイケてますが、
北村一輝の「顔にあざがある公方様」もグー。
放映当時から、ものすごい陰影のある演技で、視聴者のココロをわしづかみ。
浅野ゆう子扮する滝山ならずとも、この公方様にはイチコロなのでした。
あの将軍役以降、北村一輝は様々な映画やドラマに引っ張りだこですね。
さて、
私が後発・大河の「篤姫」を見ていて、最初に気になった点は、
まさに先発・フジの「大奥」があってこその「?」だったということを、
再放送を見ていて、改めて思いました。
それは何かというと、「コトバの問題」です。
菅野美穂の篤姫は、ずっと薩摩弁なんです。
もちろん、いわゆる「標準語」もしゃべるんだけど、常になまってる。
フジでは、次のクールで和宮が大奥に入ると、その和宮には御所の言葉を使わせています。
これ、時代考証的には、フジの勝ちじゃありません?
言葉の違いがいろいろ軋轢(あつれき)も生んだでしょう。
言葉が違うということは、文化が違うということ。馴染むまでにも時間がかかります。
そういうところが自然に感じられたのは、フジの方だったかなー、と。
みんなが「同じ日本人」になったのは、
篤姫の時代の人々が幕末に藩を越えて入り混じり、戦ったり協力したりしながら、
明治を迎えてから後だったのではないでしょうか。
マリー・アントワネットがオーストリアからフランスにお輿入れしたように、
篤姫は薩摩から将軍家へと嫁したのです。
その「孤立無援ぶり」が、フジの方によく出ていた感じがありました。
NHKの「篤姫」では、
下級武士の出の西郷隆盛や大久保利通などだけが薩摩弁を話しています。
斉彬のように江戸詰めが長かったりすれば、江戸の言葉になっていくでしょうし、
非常に頭の回転のいいという描かれ方をしている宮崎あおい篤姫も、
きっとすぐに江戸の言葉を習得したことでしょう。
教養の高い人たちは、漢文などを通じて、標準語をすぐにマスターできると思います。
でも、
アクセントまでは、書物にありません。
私の叔父・叔母夫婦が東京から広島に転勤になって数年して親戚一同で会ったとき、
叔母が子どもの教育のことでこぼしたことがあります。
「小学校の先生がなまっているのよ。教科書は標準語で書いてあるけど、
『犬』を『い↓ぬ』って発音してる。あれは標準語じゃないわよね」
私は、決して「標準語が一番いい」と言いたいわけではありません。
逆に、お国の言葉があるって素敵なことだと思います。
だからこそ、
菅野美穂扮する篤姫が、しっかりと「江戸の言葉」を話しながらも、
アクセントだけは土地の香りを残している、というフジの描き方に、
とてもリアリティを感じたのです。
ドラマでは、もっとも伝えたいことを伝えるために、
便宜上リアリティーから離れることはいたしかたのないこと。
時を置かずして同じようなシチュエーションのドラマをみると、
そのドラマが何を大切にしているか、見えてくる、ということでしょうか。
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「大奥」と「篤姫」
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