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「象の背中」


象の背中
御見それしました。
面白かった。
ワクワクした。えーっ!?と思った。どうなるの?と思った。
映画を見ていたのにも拘わらず、である。
働き盛りの48歳、大手不動産会社の部長である「俺」が余命半年と命の期限を切られた時、
その半年をどう生きるかの物語。
「俺」が「藤山」という姓であることがわかるまでに29ページ(原稿用紙46枚)、
さらに名前が「幸弘」であるとわかるまでに、プラス23ページ、
最初から数えると、原稿用紙で84枚を数える。
ちょっとした話なら、もうここで終わってもいい長さだ。
これだけじらされても、何の違和感もない。
これは「俺」の物語。名前は、いらない。
ラグビーをやっている大学生の息子・俊介とチア・ダンスをやっている高校生の娘・はるかと
「家のことしかやったこなかった」妻・美和子と。
絵に描いたような幸せな家庭がありながら、
この「俺」には「悦子」という愛人がいる。
映画では、精神的にはこの「愛人」にすがりながら、結局「妻」に世話してもらい、
妻を一番愛してるんだ、家族がすべてだ・・みたいな都合のいい構図がなんとも嘘っぽく
その上周りの人間は、
「死期」を目前にした男に対して「腫れ物にさわる」ようなヤサシサで、
そこがどうしても私の感情移入を妨げていた。
しかし、原作は違った。
この男、トンデモナイ奴なのだ。
出てくる出てくる、女、女、女!
妻の美和子だって、「なんか家族バラバラ」と思ってけだるく生きている。
「いいのよ、あなた、お仕事お忙しいんでしょ。でも私たちを愛してくださってるから」
なんて、なーんにも気づかず目をハートにしてダンナに従ってる愚かしい女ではないのだ。
家庭内別居をしているほど亀裂は入ってないけど、
寝室は別。
「そのほうが楽」で、2人は20年以上かけて、そういう「家庭」を築いてきたのだ。
「俺」はトンデモナイ奴なのだが、そのトンデモナサを、ちゃんと自覚している。
それで、
最後の半年で自分なりにケジメをつける旅に出ようと決意したのである。
だから、「俺」は迷う。悩む。自分を責める。嗤う。
しかし、自分に正直であろうとする。
その人間くささに、
トンデモナサを越えたところで、私は「俺」に共感した。
そして、
周りの人々も、それぞれが自分なりの主張を押し付けてくる。
「俺」はかっこよくは死ねない。
浮気もバレルし、あちこちでなじられるし。
それでも一生けんめい生きる。
だから、
妻には「生まれ変わってもお前と結婚する」といい、
愛人には「生まれ変わったら、真っ先にお前に会いに行く」というような男なのに、
女たちは皆、彼を愛し続け、彼を赦すのだ。
それは、わかるような気がした。
映画では削られた「前の愛人」たちが非常に魅力的。
また、やはり映画では「一体どういう関係?」と首をかしげた「味方すぎるテキ」山崎も
丁寧に描かれている。
それから映画でもしつこいほど出てきた「肺ガンなのにタバコを吸う」シーンについて。
映画では、
「もう死ぬんだから好きにさせてやりましょう、今さら禁煙しても治るわけじゃないし」
みたいな感じにしか思えなかったけど、
原作では、
「吸いたいのに身体が受けつけなくなる」過程が非常に具体的に記されていて、
それが文章ではわかりにくい体調の変化や衰弱の様子のバロメーターとなっている。
まわりの「吸わせない方がいいか、吸わせてあげた方がいいか」の迷いも、
場面ごと、登場人物ごとの道理が見えて、大変感慨深かった。
唯一、
映画でもっとも秀逸だった「長兄とスイカを食べるシーン」は、
映画オリジナルのセリフとともに、映画の勝ち。
映画を見てナットクいかなかった人は、絶対小説を読んでください。
「なるほどー」と思うところ、多々あります。

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