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市川崑の「破戒」


破戒(DVD) ◆20%OFF!
私に衝撃を与えた作品である。
家で一人、テレビを見ながら、息が詰まって死ぬかと思った。
島崎藤村の「破戒」は中学の時に読んでいたが、
どのシーンを見ても「こんな話だったかな~??」と
まったく覚えがない。
それもそのはず、
私に心臓が止まるかと思わせるまでショックを与えた場面は、
ほとんど原作にない、
脚本の和田夏十・市川崑監督による脚色だったのだ。
どこがそんなに違うのか。
「世間の目」のリアリティーだ。
丑松は、「世間」に潰されていく。
自分の出自が知られるかもしれない、と思ったその時から、
彼から明るさが消える。
何かの影におびえる毎日。
そんな丑松を、尊敬する猪子蓮太郎が訪ねてくる。
そして
「僕にだけは、本当のことを言ってくれないか?」と迫る。
「かくせ」という父の戒めと、
「言え」という猪子の要請。
2つのはざまで憔悴する丑松・・・。
その苦しさをほとんどそのまま全身にくらいながら、
私はその痛みの下で思った。
なぜ、猪子さんは、ここまで丑松を苦しめるの?
かくさなければ生きにくいことは、猪子が一番よく知っているのに。
自分には言えたからといって、
他人にそれを強要するのが、精神的リーダーのすることか?
このシーンは、原作にはない。
原作では、高柳という俗物議員に対して「身に覚えがない」と否定する。
この映画の持つ、圧倒的なエネルギーと重厚感の前には素直に頭を下げるが、
原作を読み返してみると、
(これで、本当に『破戒』の真意が伝わっているのか?)という疑問も湧いた。
上に書いたこともそうだが、
特にラストシーンに私は戸惑った。
教師を辞めて東京に向かう丑松を、
教え子の小学生たちが見送りにくる。
その中の一人が、ゆで卵を渡す。
親が持たせたものだった。
丑松は、思いも寄らぬ贈り物に「ありがとう、ありがとう」といって泣き崩れる。
私には、
丑松が、「こんな私に卵を恵んでくださるなんて」ありがとう、と言っているように聞こえた。
確かに感動的だ。
私だって涙が出ちゃった。
でも、何か割り切れない。
部落民だって、そうでなくたって、同じ人間、そう口にできる男として、
そういう人生を送るために、
「かくせ」という父の戒めを破って船出する丑松に、
なぜこんな卑屈な涙を流させるのか。
なぜ、それがラストシーンなのか。
「何も悪いことをしていないのなら、かくすな、話してしまえ!」と
丑松に「自白」を強い続け、
「そうです、私です」と言わせて最後に「よくやった」と結ぶのは、
ちょっとした「権力」のやることだ。
まさに「世間」の身勝手のような気がした。
そう。
市川崑の『破戒』は、差別「する」側の視点で描かれている。
いやらしく偏見を口にすることはないが、自分は差別されないことを無意識に確信している。
そこに正義はあっても、差別「される」側の心に寄り添うやさしさが欠けていた。
だから、心が痛かったのだ。
だから、息が詰まったのだ。
そして、
だから「痛快」なのだ。面白いのだ。
そこが、エンターテインメントの恐ろしさだと思った。
今回、木下惠介の『破戒』を観て、
原作の真意がしっかりと汲み取られていることを確認。
世間とだけでなく、自分の内なる偏見と闘って、丑松は旅立つ。
その清清しさが、本当に「観てよかった」と思わせるのだと思う。
(原作は、また違うラストを用意しているのだが、それは別の機会に)

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