最近、ドイツ文学づいているワタシ。
行きがかり上、やっぱりダンテの「神曲」を読まなくっちゃダメかな~、
…と思っていたら、
夫の机の上に並んだ文庫の中に「ファウスト」発見!
こりゃ、読まねば!と手に取ると、
なんと、手塚治虫のマンガだった。
大体が、「ファウスト」は「ファウスト」、「神曲」ではない。
でも、
とにかくダンテへの入門だ!とばかりに読み始めた。
(…と思ったが、実は、「ファウスト」の作者はゲーテなのでした。
以下、思い込みで突っ走る私の読書体験)
ファウスト
1950年に21歳の手塚治虫が描いた「ファウスト」は、
いわばゲーテの「ファウスト」のダイジェスト版。
たいそう堅物の老学者で誰からも尊敬されているファウストが、
悪魔メフィストフェレスと契約を交わし、心から満足のいく人生をもう一度歩むべく、
若返らせてもらいさまざまな経験をする話だ。
メフィストフェレスは、ファウストが「あー満足した!」と思った瞬間、
彼を地獄に連れて行ける、という約束をした。
私は原作をまだ読んだことがないけれど、
手塚治虫の「ファウスト」は、
悪魔が出てきたり、天使が王女に生まれ変わったり、と、
後年の「リボンの騎士」を思わせる展開。
どうやら、ファウストと手塚の心の交流は長く長く続くことになるらしい。
私が手にした本は朝日文庫の「ファウスト」で、
その中には、続けて「百物語」が収められていた。
この「百物語」、手塚治虫47歳の時(1971年)に描かれた、いわば「ファウスト」の翻案もの。
舞台は日本、時代は下克上の戦国時代。
主人公はファウスト・ハインリヒならぬ一塁半里(一塁=ファースト→ファウスト、半里=ハインリッヒ)。
彼が理不尽なお家騒動に連座し、斬首される寸前に「死にたくない!」と思うところから、
この物語は始まる。
どうみても非力でダサくてモテそうにない一塁を、
女の妖怪・スダマがイケメンの男に変え、名前も不破臼人(ふわ・うすと=ファウスト)と名乗らせる。
そして、一塁の望みである
「一国一城の主になりたい」「イイ女をモノにしたい」「満足な人生を送りたい」の3つをかなえたら、
魂を抜き取って自分のものにできる、という約束をするのだ。
25年の歳月を経て、手塚はゲーテの大作の核心を会得して換骨奪胎、
緻密な背景、魅力的なキャラクターを造り上げて素晴らしい物語を創造した。
日本人だからだろうか、ゲーテのあらすじを知ってなお、
「こっちのほうが上じゃないか?」と思ってしまう展開である。
一つには
日本人って、「天使」と「悪魔」っていう二律背反の法則が苦手でしょ。
「天使」の中にも「悪魔」が棲み、
「悪魔」もやがて「愛」を知る・・・みたいな。
「悪魔」の変容だけではない。
「人間」も成長する。
不破(一塁)とスダマとの関係が、長い間連れそうことで微妙に変化していくところ、
ダサい一塁が、魔法でイケメンになっても中身は前とおんなじ弱腰だったのを、
少しずつ少しずつ、自分の力で人生を切り開くべく努力していくところなど、
「魔法」や「妖怪」が出てくるけれど、そうしたSFチックな痛快さだけに終らないからこそ、
ぐっと引き込まれていくのだと思う。
騙されたとおもって、一度お手にとってくだされ。
手塚治虫は、未来が舞台の「ネオ・ファウスト」
という作品も手掛けている。
こちらは未読。
これも、読まねば!
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手塚治虫の「ファウスト」と「百物語」
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