鶴屋南北の話というのは、とにかくエグイ。
どこまでやるんだ、というグロさ。
いわゆるジェットコースターストーリーだ。
歌舞伎に「実は」はつきものだが、
ここまで「実は」の入れ子が多いのに食傷する人もいるかも。
しかし
この「いきなりクライマックス」&「どこまでいってもクライマックス」な作り、
どこかで見たことある。
そうだ。ユゴーだ。ヴィクトル・ユゴーだ!
ユゴーというと、ちょっと昔の人ならば「銀の燭台」を思い出すでしょう。
道徳のお時間ですか? ウソをつくのはいけません、
右の頬をぶたれても左の頬を差し出すと人は改心します、的な。
でも
この「銀の燭台」の場面があまりにも有名な「ああ、無情」は
いまや「レ・ミゼラブル(原題のまま)」として
帝劇ミュージカルで一世を風靡しています。
「道徳のお時間」なんて、大長編の入り口の、そのまた入り口。
たくさんの人間が、時代に翻弄されながら生きていく
まさに「Les Miserables(無残な人々)」の群像劇なのです。
歌舞伎を見ながらフランス小説を思い出すなんて、
突拍子もない、と最初は思ったのですが、
この二人には、同年代の作家という共通点がありました。
この時代、
フランスではフランス革命が成り、その後もめまぐるしく政治体制が変わり、
多くの人の血が流されました。
1780年から1880年までの100年間、
フランスでは王政から共和政へ、革命委員会による恐怖政治へ、
ナポレオン登場、ナポレオンによる帝政へ、王政復古、七月革命、
七月王政、二月革命、ナポレオン三世による第二帝政、そして普仏戦争で敗戦と
本当に大変な時期だったのです。
何が正義か、何を信じて生きていけばいいのか、
「社会体制」とは人に幸せをもたらすのか不幸にするだけなのか、
誰にもわからない時代です。
泥棒が英雄になり、英雄が泥棒になっても不思議はなく、
明日の命も知れない不安が、そこにありました。
「レ・ミゼラブル」のバリケードの場面などは、
1830年の七月革命をそっくり描いているといえます。
私がこよなく愛する「ノートルダム・ド・パリ」も
「パリのせむし男」とか訳されて最初紹介されたようで、
このイメージが強い作品ですが、
物語は「ノートルダム寺院」という歴史的建造物に閉じ込められた
パリという町の記憶をひもとく、といった形になっていて、
もちろん主人公はいるし、メインのストーリーはあるけれど、
全体としてパリという町とそこに住む人々のエネルギーを描いた作品です。
かたや日本の1800年代前半は、文化文政時代。
鎖国から200年たち、
とてつもなく町民パワーが爛熟した文化を織り成しています。
フランスとは正反対にあるような感じです。
でも
ユゴーが1830に発表した「エルナニ」というお芝居の原本は
1840年に発表された南北の「盟三五大切」と、驚くほど似てるんです!
「実は」のところとか(笑)、三角関係で最後殺しに来るところとか。
(「エルナニ」の内容についてはまた後日)
ユゴーの「エルナニ」は、
いわば「新劇」に対するアングラ、みたいな破壊力がありました。
いろいろな芝居の決め事を、どんどん破っていきます。
かなりエポックメイキングなことであって、
その時代の「メロドラマ」、いわゆる「昼メロ」のメロドラマの原点ですが、
本当の意味はメロディーつきのドラマ(悲劇)から始まった形式を得て、
人間の感情を音楽で増幅させるようなカタルシスが神髄。
このときロマン主義的演劇を確立させた、ということになっています。
(かなり駆け足。少しちがうかも)
最近私が書いた戯曲は
ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」を下敷きにしています。
今回、書き上げた後に「盟三五大切」を見て、
自分が描きたかったのは、
源五兵衛のような人物だったのだな、ということがはっきりわかりました。
根っこには善良な心がありながら、
そのまっすぐさゆえにのめりこみすぎたり、
自らの意志より強く、自己犠牲に走ったり、
そうした自分の心のの中の矛盾が、ある時点で爆発してしまう、
そんな人物。
そう、昔、思ったことがあった。
「叫ぶ女が好き」と。
バルザックの「谷間の百合」に出てくる女主人公アンリエットです。
貞淑な人妻でありながら、
若いフェリックスへの恋心が抑えられない。
抑えて、抑えて、でも抑えきれず、最後に叫びます。
叫ぶことで、自己が解放されていきます。
ようやく「本当の自分」に出会えるのです。
抑圧された魂の解放は、
たとえそれが「悪」を含んでいても、清清しく見える。
それだけ、
人は社会のルールに閉じ込められて生きているということでしょうか。
ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」(1831年発表)を読んで
それを1472年という
この小説が描いている時代の日本=室町時代に移し書いていこうという試みは、
ユゴーの1830年と南北の1840年でもつながっていたのだな、と
改めて感じ入ってしまいました。
これで南北みたいに書けてたら、私も天才なんですが(笑)。
「盟三五大切」は
今でこそ続けて上演されていますが、
昭和51年に復活してから、まだ11回目です。
その前は、というと、
天保11年(1840)に初演され、大正15年(1926)に上演されただけです。
「勧進帳」や「義経千本桜」「忠臣蔵」などが
何度も何度も上演されているのに比べたら、
ほとんど忘れられていたようなものですね。
今だから。
現代にこそ、この話はインパクトをもたらす。
昭和51年の復活に尽力した補綴台本の郡司氏と
そのときの役者(源五兵衛=先代の松禄、小万=玉三郎、三五郎=孝夫、現仁左衛門)
の役作りの素晴らしさがあったればの大当たりであったことでしょう。
ひきこまれていくお話です。
古本屋で買ってしまった(笑)「天保十一年の忠臣蔵」
(副題=鶴屋南北『盟三五大切』を読む)を
じっくり読みたいと思います。
読んだら、またこのお話について、書きたいと思います。
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鶴屋南北とヴィクトル・ユゴー
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